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[コメント] ハッシュ!(2001/日)

一見均衡が取れてそうな関係。でも、ちょっとまって、何かお忘れではないですか!?(追記)ひっかかった場面(02/06/05)(追記2)奥田K子様のコメント拝見して+(蛇足)→
秦野さくら

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







私は女性である。精神的には男女関わらず惹かれる傾向にあるが、性的には男性に惹かれる傾向にある(と思っている)。このコメントを書く上で、視点となる「私」をはっきりさせておく必要があると思ったので、最初に書いておく。

この映画で、ひとつ忘れていることはないか?「朝子」は、私と同じ、女性で性的には男性に惹かれる(一般的に普通といわれる)女性である。互いに愛し合う男同士のカップルの中に紛れる「性的」に結ばれない人間。この映画では「愛し合うこと」と「子孫を残したいという、いわば生物的本能」を分けて描こうとしている。でも、その二つって、割り切れるもんなんだろうか?「朝子」は、本当に、「子孫を残す」という行為だけで満足できるのか?・・え?「朝子」と、「誠也」や「勝裕」の間には、友情も芽生えたじゃないかって?だってほら、この三人の関係、観ていて心地いいもの。

・・確かに観ていて心地イイんである。

だから、なんでだろうと考えてみた。で、結論。「(上記で書いた通りの)私」が観ているからだ。私のなかで、「(たとえ心だけであっても)男女は惹かれ合うはずだ」という希望(とまでは言わないが、そういう概念)と、「それでもゲイは女を性的に愛せないから、いがみ合いになることはない」という概念が、どこかで三人の関係を「安定した関係」と肯定しているのだ。だから、「朝子」の突拍子もない申し出をちょっと苦笑しちゃったり、三人の暮らしがちょっとうらやましかったりするのだ。二人がゲイだろうとなんだろうと、私からみれば、いい男ふたりに囲まれたドリカム状態(古い?)なのだ。だから許せちゃうんだ。それで、それがいつの間にか置き換えられて「いろんなものを超越したヒューマニズムってもんが、やっぱり人間の根底にはあるのよね〜」って、納得させられたんだ。

ちょっとこの映画の設定を変えて考えてみる。「誠也」と「勝裕」は男女のカップル、女は子供の産めない体である。しかし二人は愛し合っている。そこに、突如「朝子」という女が現れ、男に対して「愛し合おうなんていわない。子供を作らせてくれ。彼女にも相談してくれ」ってきたら、私は同じようにほのぼの感じていただろうか?ヒューマニティだけで彼女「勝裕」は女「朝子」が彼「誠也」の子供を産むことを許し、愛し、仲良く三人で一緒に暮らすという結末に納得がいっただろうか?その状況のなかでやはり堅く愛し合うふたりと同居して「朝子」は幸せになると思えるだろうか?

否。私はそこまでまだ「ジェンダー概念」というものを払拭できてない。ゆえに、逆説的に言うと、この映画を観たあとの心地よさは、私自身のその概念が生んだものだ。「朝子」は幸せなのか?ハッピーエンドでもなんでもない、この映画は。(ハッピーエンドなじゃいのかもしれないが、監督は<とりあえず>ハッピーエンドを意識して描いているだろう)

この映画は、観る人によって感じ方が違う映画であると思う。私から観ると、どうしても朝子に肩入れしてしまうから、設定に目眩ましを食らった感がある。是非、次は「男女のカップルに飛び込む女」を描いて納得させてみてください。

---

*演出などは気に入ったし、楽しんで満足したんですけどね。

(追記)

しつこくすいません。どうしても、なんだかやっぱりすっきりしないので、何でだかしつこく考えてみました。

そうだ・・あの場面だ・・。

子供(家族)が欲しくなった朝子。2人に出会う。2人はゲイらしいという事がわかり・・、「あなたの恋人って、蕎麦一緒に食べてた男のひとでしょ?」→「子供作りたいの」・・・。

子供ができないカップルなら、子供つくりたいっていってもいいんじゃないかって思うもんなんでしょうか・・・。ゲイの人が実際に言われたとしたらどう思うのだろう。私は男じゃないので良く分からないので、女で子供が産めない体だとして(しつこくたとえ話してすいません)、「子供産めないんだからこういうこと頼んでもいいんじゃないの」って思われたら、相当悲しい気持ちになります。

(追記2)

奥田K子様、拙コメント読んでいただき恐縮です。

奥田K子様のコメント拝見し、成る程と見識を新たにしたとともに、私のなかにやはり「先入観」があり、それを前提としながらも払拭しつつ上記コメントを書いたつもりが、やはり思考は回帰していたことを自覚しました。

私のなかで「朝子」は女性として非常に魅力的でしたが、一方で脅威でした。映画のラスト方、傷つく「誠也」に手をかけた「朝子」を私は憎みました。いくら彼に諸々の情が沸いたとしても、あそこで「誠也」に手をかけられるのは「勝裕」だけだ、その葛藤の苦しみを伴わなければならない関係なんだと、そう思いました。そういう自分は、「愛」に対して非常に狭い見地しか持ち得ていないのかも知れません。

(蛇足)

総括。

私は、ジェンダー云々よりも「三人の均衡した関係」というものが受け入れられないのでした。

(監督は、これについてはいとも簡単に提示していますが、私にとってはこの点が1番重い。これを話の重心に置いてもう1作品作っていただけたら嬉しい)

(長々駄コメント失礼致しました)

(評価:★4)

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