[コメント] マトリックス レボリューションズ(2003/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
(レビュー内では『マトリックス』と表記する物は一作目のみで、二作目以降はそれぞれ『リローデッド』『レボリューションズ』と表記しています)
宣伝コピーや予告で頻繁に使われていた「始まりがあるものにはすべて終わりがある」という言葉。
確かに機械との闘いは終わった。だが、このウォシャウスキー兄弟は1作目の『マトリックス』でのモーフィアスらの目的を覚えてはいないのだろうか?そして、なぜCGが『リローデッド』『レボリューションズ』には明らかに劣る出来であったとしても『マトリックス』が一番スタイリッシュかつ興奮できるアクションとストーリーであったのか分からないのだろうか?
『マトリックス』にてモーフィアスは「マトリックスの束縛から人類を解放するために、救世主が必要である」と説いた。『レボリューションズ』のラストにて、「マトリックス」という仮想現実は新たなるスタートを切った。ザイオンは救われたものの、「マトリックス」で未だに束縛された人類は何も知らないままである。機械と人間は一時の和解をしただけであり、『マトリックス』以前から仮想現実に住む我々にとっての変化は何もないのである。
ジョエル・シルバーは「この作品が最後である」と言い切った。しかしこの映画の脚本を書いているのはジョエル・シルバーではない。前述したとおり、この作品によってもたらされた解決の道は一時的なものでしかない。「もしかしたらいずれ、7人目が現れるのでは?そして7人目がエージェントを破壊することによって再びスミスのような存在が現れるのでは?」という疑念が生まれる。ならばこれは『レボリューションズ』ではない。それどころかキャストを総入れ替えして、『新・マトリックス』なんてものを作りかねない。
思えば『リローデッド』でザイオンを登場させてしまったことが失敗だった。マトリックスをブッ壊す、マトリックスという束縛から人類を解放すると言っていた『マトリックス』のストーリーの方向性を変えてしまうことになったのだから。例え多くの謎が残ろうとも、長ったらしい宗教談義が続いていようとも、次作があり、次作が全てを解決してくれると言う希望があったからこそ俺は『リローデッド』をそれなりに評価することが出来た。
それに、しょっぱなから多くの謎に包まれた『マトリックス』の中では、ミスター・アンダーソンという一般市民の一人と同じようにしながら、謎の答えを知っていくことができたのだ。しかし飛躍しすぎたストーリーの中で生まれた謎は「設定のために必要なもの」ではなくなってしまった。それに『マトリックス』の謎は映画を面白くさせるためであったにせよ、ストーリーは「カッコイイアクション」を見せるための辻褄合わせだったのだと思う。
もう一つ。俺の観たかったアクションが『レボリューションズ』ではほとんど存在しなかった。予告編でも映像を見せず、謎のベールに包まれていた17分間で70億の戦闘シーン。センティネルがどうのこうのと言っていたので、嫌な予感はしていたのだが、案の定ガッカリするものだった。どうせ70億かけるならモニカ・ベルッチのオッパイをCGに使って欲しかった。視覚効果賞間違いなしだぞ。初の特殊効果オッパイで。
それにしてもあれじゃあ『スターウォーズ』と変わりがないよな。あくまでCGは映像のメインになるのではなく、アクションを効果的なモノにするために、アクションを助けるために存在していて欲しかった。
そして、『マトリックス』(一応リローデッドも含めたいところではあるが)にはあった、「俺もこんなことしてみたい」と思えるほどに燃えるシーンも存在しなかった。今でも俺は、「マトリックス・トリロジーの中で一番好きなアクションシーンは?」と訊かれれば迷うことなく「『マトリックス』のロビーでの銃撃戦」と答えるだろう。最後のネオvsスミスにそんな感情を入れることは出来なかったし、「何か違う!」というストーリー展開のために緊張感も興奮も味わうことはできなかった。第一、空ばかり飛んでるし、「いつかめはめ波打つんだよ」という感じであった。
こんな結果になるのなら、いっそ俺が『リローデッド』『レボリューションズ』でしっかりまとめられるような「マトリックス」を設計してやりたかったよ
追記☆★☆★最後のネオの選択について☆★☆★
『マトリックス』という作品の完結編としての期待を裏切られたショックやあっけなさはあるものの、ネオが現実の肉体で言った「平和」という言葉、そしてネオの選択について考えてみた。以下、俺なりの解釈。
ネオが望んだのはザイオンのみの平和ではない。彼は結局、機械世界、現実世界、仮想現実三つの世界の救世主となったわけだ。なぜ、人々を解放し、ぶち壊そうと思っていた仮想現実までも救おうとしたのだろうか。確かに彼は「マトリックス」をぶち壊そうとしていた。だが、もし本当に「マトリックス」から人々を解放したとしたら、世界はどうなる?
『マトリックス』のネオの目覚めが同時多発してしまう、ある意味とんでもなくグロい光景が発生する。中にはマトリックス内で権力を握っていた者もいただろう。しかしそういう奴もその先の現実世界の再建のために権力なんぞ関係なしにされるだろう。マトリックスというシステムを受け入れらなかったアノマリーがいるのだから、現実世界を生理的に拒否してしまう人間だっているだろう。食料はどうする?住む場所はどうする?
決してマトリックスが破壊されることが全ての人類にとって良いことであるとは言えないのだ。
ネオは共存という道を選んだ。仮想現実と機械世界の間で、プログラムの中に目覚める感情に気付いた。また、マトリックスを出たがる者はザイオンへ行く。機械はザイオンを攻撃しない。これにより、現実世界にも新たな文明が栄えていく。だから、全てを守るためにスミスとの対決を選んだ。スミスは全ての世界を揺るがしかねない、ネオの対極とも言える「破壊王」であった。本編中で説明していたようにスミスはネオの「負」の存在であった。その彼らが融合したから「プラスマイナス0」となり、互いが互いをうち消したのだろう(もしくは、スミスがコピーされたネオに、コンピュータが破壊コードを送り込んだ)。そして今までと同じように、ネオのコードを使い、マトリックスはリロードされた。
以上が俺のラストへの言及であるが、ラストがどうこう以前にストーリーはもっと作りようがあったはずだ。ラストは、トリニティを失ったネオが『リローデッド』のラストにあった「一人の人間への愛」から「人類愛」というか、「多くの者へ対する愛」へ変わった部分ではあるのだろうが、何じゃそれ。『マトリックス』から考えればそんな結末は思い浮かばなかった。まあ、あの映画も「愛」でネオが甦っていたけどさ。最後まで「愛」がどうのこうのって話だとは思わなかった。プログラムまで「愛」を語ってるし。まあ、ストーリーに文句付けるとなれば『リローデッド』から作り直せって話になっちゃうし、レビュー前半にも軽く書いているのでこれ以上は言わないが。
それに、ネオが選択に至るまでの説明らしい説明やシーンは、よくよく考えてみれば存在しない。「あなたは選択の理由を知るために来た」だとか、そういうことばっかりだ。もう少し選択に至るまでの決定的なシーンが欲しかった。そして、それはドラマにも言えたことだ。モーフィアスとの最後の別れも、現実世界で見る初めての太陽にも、トリニティーの死別にも僅かな感動も出来ないなんて・・・。
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