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[コメント] まごころを君に(1968/米)

アルジャーノンと私
peacefullife

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







いずれ書こうと思いつつ、なかなか言葉にするのが難しくて書けずにおりましたが、不充分でもとりあえず書いてみようと思います。かなりの長文になると思います、また、まとまりが無いので、時間のある方だけ、良かったら読んでみてください。

映画作品を批評する時に、原作をひっぱってきて、それと比較して酷評するというのは、正直あまり誉められた行為ではないのではないかと思うことがあります。 特に、自分が原作を知らなかったりすると、そういった批評に出くわした時に、妙な違和感を感じたりするのも事実です。でも、敢えて私はこの作品については、酷評をさせていただきたいと思うのであります。

そもそも、この作品を知ったのは、大学生の時でした。それは、芝居でこの作品をやることになった時、つまり、台本を先に読んだのであります。私が与えられた役は、光栄にも主人公、チャーリィ・ゴードンその人でした。白痴(差別用語ですので一般生活で使ってはいけません)から天才への変貌、そして天才から再び暗闇へ。物凄く重い役でした。このチャーリィの役を演じられる自分がとても幸せであると同じに、物凄い重圧と、役にのめり込めばのめり込む程に精神的に不安定になり、ついには後期の授業を殆ど出なくなるという状態になりました。(結果留年し、大学は5年間通ったのです)

原作を読んだのは、この役をやることになってからです。本は演出から借りました。ところが、涙が止まらず、本を汚してしまい、新しい本を買って返しました。英語で読むよりも、日本語で読む方が強烈ですよね。表音文字のみでなく、表意文字があるという日本語の特徴を上手く使っています。

そして、役作りの参考になるかと思い、この映画も見てみたのです。が、、ものすごいショックを受けてしまいました。

まず、チャーリィ・ゴードンに訪れた悲劇とは何であるか。この映画では、どうやらアリス・キニアンとの別ればかりを強調しているとしか思えない。それは当然、キニアン先生への憧れ、母のような優しさ、惹かれていた、それでも女性としては見られなかった。そんな存在のキニアン先生との別れは、そりゃ辛かったのです。 しかし、チャーリィにとって最も驚愕だったこととは、「自分で自分の死刑を宣告する」という点でありましょう。

チャーリィは、次第に周りが見えてくるにつれ、かつての愚かな自分を馬鹿にしていた人々を恨んだりします。どんどん嫌な人間になっていくのです。知識をひけらかし、人間的にはとても薄っぺらい、不快感極まりない人間。大人になってしまった人間をどこか象徴しているような感覚。

そして、自分の死刑を宣告し、ワレン養護施設を見学に行く。ここで、チャーリィはまた気づくのです。馬鹿にされている…いや、彼らは幸せなのだということ。自分の今の状況は幸せではないということ。そんなことを複雑な感情の中で感じるのでしょう。愛を以って接してくれていた自分の周りの人々、白痴だった自分は、光によって良い状態になった筈だった。確かに手術は失敗であったが、賢くなったことで、果たして良かったのか。あらゆる感情がチャーリィの中で渦巻いたことでしょう。

2時間でそれを表そうなんて無理なのはわかっています。しかし、この映画は、あまりに安っぽく、恋愛映画のノリで作ってしまいました。これは私にはとても許せない気持ちにさせられたのです。

また、フェイ・リルマンの存在はどうなってしまったのか。とても重要な人物なのです。

舞台の上で、紙粘土で作ったアルジャーノンを、私は愛しい目で見つめました。おまえだけは、私の気持ちがわかるだろう。世界でたった二人、アルジャーノンと私だけが、この気持ちをわかるのだ。

アルジャーノンに花束をあげてやってください

(評価:★1)

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