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[コメント] 戦場のピアニスト(2002/英=独=仏=ポーランド)

 ポランスキーの遺作。 いろんな意味で。
にくじゃが

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 ポランスキーはなぜこの映画を作ったのだろう。パンフレットにあるインタビューには、「こんな話を探し続けていた。そこには確かに希望があった」とかそんなことが出ていた。じゃあ彼が最も描きたかったのは“希望”なのだろうか?

 なぜこのシュピルマンは救われてしまったのだろうか。(原作がそうだったからって言っても、この話をわざわざ映画にしようとしたのはポランスキー自身だ。)実際に救われてしまった自分をこの主人公に投影していた(したかった)のか? 数々(15本しかないや。そのうち五本は観たことないや。)の彼の映画の主人公たち、彼らだってポランスキーの魂を露骨に受け継いでいたはずじゃなかったのか?

 パンフレットの中でポランスキーはこう語っている。「この作品は自伝的な作品にしたくなかった」「この原作は自分の体験に近すぎるということがなかった」

 このシュピルマンはポランスキーの嫡子ではないのだろうか?

 彼にも他の主人公たちのように世界にひとりぼっちの瞬間があった。小さな穴から外をのぞき見るだけ。ただ見るだけ、何もできない、何もしない。まあ彼が行動したところで何も変わることはなかったかもしれない。ただ、彼は「自分も何か行動せねば」という気持ちをしっかり封じ込め、自分が生きるためにある人々を見殺しにした。人を食らって生き延びるシュピルマン、確かに彼はひとりぼっちだ。

 …こういう思いが彼をもっともっと苛んでくれれば、私が期待した今までのポランスキーだったのだけれども。今回のポランスキーは、彼の心に「希望」を与え、彼の心を軽くしてしまった。缶詰脇に置いてドイツ将校の前でピアノを弾くシーン、はじめはたどたどしかったのがだんだんと滑らかになり、ネズミのようにコソコソと隠れてただ生きているだけの彼が、だんだんとピアノ弾きとしての自分を取り戻すところはいちばんいいところなのだろうけれども、そんなまっとうなものを私はポランスキーに求めていない。彼の持つ「他人を食い物にしてでも」というような強い希望、それを持つことのできなかった弱いものども、そんな彼らを取り上げて、いたぶる。ポランスキーの映画における、そんな弱きものにも目を向けるような優しさと傷口に塩を塗り込むような残虐性、書きながらなんだかわからなくなってきたけど、そんな二つが同居している不安定さと混沌が好きだった。それなのに、この強い希望を心に持ったシュピルマン。彼を描くことで、今までの主人公たちが抹殺されてしまったような寂しさを感じた。

 シュピルマン自身に、食い物にしてしまった人々への思いが皆無、なんてことはもちろんないのだろう。少し哀しげにピアノを弾く彼、収容所跡を訪ねる彼、彼の心には何らかの変貌があったのかもしれない。ただそれがどんなものかについては触れてなかった。想像しろってことでしょうかね?つまりその辺はこの映画においては重要ではないんだろうと思う。

 やはりいちばん描きたかったのはこの“希望”なんだろう。ポランスキーとシュピルマン。年は違うけれども、同時代に似たような体験をしたふたりの男。 でも、「自分の体験に近すぎることはなかった」。希望を持った男を待ち続けていたポランスキー。これまでの自分の子供らを抹殺してでもその“希望”に縋りたかったのだろうか。少し弱気になったのだろうか。もうそろそろ70才のポランスキー。これか次回作が本当の意味での遺作になるかもしれない。この映画を作り上げることで、自分の思いを整理し、浄化していていたのだろうか。ポランスキーは、救われたかったのだろうか?

 その“希望”は満足させてくれたかい? 

 でも、救われてしまったあんたには、もうあまり興味がないんだ。

 さようなら、ポランスキー。 あんたの混沌を愛していたよ。

(評価:★3)

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