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[コメント] 田園に死す(1974/日)

4月13日 東京都中央区銀座字恐山   
新町 華終

「彼は農村社会へ戻れと言ったのではない。農村出身者でもない、地方都市出身者の寺山修司は、農村の意識、村意識、家族意識の強い時代に「家出のすすめ」を唱え、青少年の自立を唱えた。

 寺山修司が愛好したのは町だった。「書を捨てよ町へ出よう」と唱え「書を捨てよ都市へ出よう」と唱えたのではないことに注目してもらいたい。東京に出てきて彼が愛好した町は、新宿の歌舞伎町であり、渋谷の場外馬券売り場のそばであり、そこにはスシ屋の政やトルコの桃ちゃんも住みつき、映画館もあれば劇場もあったということに注目してもらいたい。

 寺山修司は、大企業の丸の内のビジネス街は好きではなかった。

 彼は繁華街としての町が好きだったのだ。つまり、どちらかと言えば下町が好きで、気取った山の手文化は好きではなかった。

 杉並区阿佐ヶ谷という山の手で、市街劇「ノック」を上演して事件となったのも、そして都市化していく80年代の渋谷で事件となったのもそれを考えれば当然である。」 (高取 英=劇団「月食歌劇団」主宰)

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 4月13日、寺山修司作品の真骨頂とも言える本作『田園に死す』が、銀座のど真ん中、マリオン9F日劇2という、キャパ600席という無駄に広くガラガラな映画館で一夜だけ上映され、友人が教えてくれたお陰で、寺山ファンになって7年目にしてようやくスクリーンで見る機会に恵まれた。

 それにしても“銀座のスクリーン”をめくったら恐山が…である。まったくもって東京という所は懐が深い。いや、巨大な胃袋とでも言うべきか? しかし高取氏の証言する、町を愛し、一方で都市を一つの舞台と見たて、市外劇による破壊活動さえ企てた寺山修司自身がこの光景を目の当たりにしたら、何と言っただろう…

「ついに僕の作品も、ギャラリーでガラスケースに保管されて展示される、息をしない“芸術作品”へと堕してしまったのかもしれないね…」

と嘆いただろうか。

 それにしても、ここ30年で東京だけでなく、日本も進化した。もはや日本のどの地方に行ってもあのような田園の風景などないし、都市に出てきた若者の大半は地方人だというのに、そのファッションたるや、例えば埼玉の大宮以北の若者などは及ばないほどに洗練されていたりもする(笑)。確かに田舎から都会へ出てきていきなり“デビュー”しちゃったからというのも多いが、どちらかというと日本全体で地域差というものが余りなくなってきているという印象が強い。

 寺山修司がこの映画で自らの過去を捏造までしてこしらえた「田園」なる故郷=舞台は、ここにきて密かに役割を終えつつあるということなのかも知れないと、このレビューを書くうちに思うようになった。一方で、光が弱くなれば闇も弱くなるということで、対称軸となる「都市」さえも、ここ最近、舞台装置としての魅力は失われつつあるように思える。かつてのような心振るわせる看板役者=人はどちらの舞台にもおそらくいない。みんながカメラの前に立つ俳優・女優になった代わりに、ケチでスケベな三流詐欺師にさえもなってしまった。タブーがなくなったかわりにヒロイズムもなくなってしまった。つまりは、寺山作品が否定・批判の対象としてきたものが失われたため、時代が寺山を超えてしまったのではないかという錯覚さえ覚えてしまう程である。それが証拠に、白塗りならぬ黒塗りの道化たちが、かつて「天上桟敷」があった渋谷の街中で見世物小屋を飛び出し平然と道路を歩いているではないか。

 果たして本作『田園に死す』は“ガラスケースの中の芸術作品”となってしまったのであろうか…?

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「亡き母の 真っ赤な櫛を埋めに行く 恐山には 風吹くばかり」

「私は母について多くのことを書いてきた。とくに少年時代の和歌にはそれが多く見られた。だが実は、こうした歌は、すべて事実ではなかった。そこで、一度、自分の「思い出を捏造する」習癖を分析してみようと思い立ったのが、この映画『田園に死す』の動機であった。」(寺山修司)

「思いでの捏造」…身に覚えのある人は多いだろう。しかし昔に比べて我々はそれを良心の呵責も無く易々と行うようになった。それはかつてのお互いが勝手知ったるような、嘘をついても証人がすぐそばで見ているような地域的コミュニズム=村社会が日本人から失われてきたからに他ならないのではないか。そして寺山の行為はそのかつて村社会が日本の大半だった時代においては先鋭たる「逆説」であり「非行」であったが、今となっては時代が村という概念ごと大きく飲み込んでしまった感があるということだ。皮肉にもそれは、寺山の死後、アングラ演劇が光を求めて迷走し、闇が闇でなくなり、そのことで一気に魅力を失ない衰退していった様にもどこか似ている。

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…しかし、ひそかに私は愛して止まない。

見世物小屋の汚いものこそ綺麗だという逆説と空気女を。

過去を捏造する試みとうら寂しい恐山の風景と少年のセックスの妄想を。

日本人のかつて誰もが心の風景であった田園と村八分の女と柱時計を。

家出の汽車に乗るためには母親の死体が必要だとうそぶいた家出の教祖を。

そしてそれを自らフィルムに収めることで、新たな偽証の罪を作り出した逃亡者を。

紙の人力飛行機で大空を飛ぶのを夢見たかくれんぼの詩人を。

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東京都中央区銀座字恐山 

            一夜限りの 寺山修司様へ

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追記

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2015年10月12日 新月

 私は家出した。

 荷物の中に一冊の本をしのばせて。

「あなたたちは、何もわかっちゃいないんだ、全く何も計画も目標も定まっていないからこそ、家出という行動を媒介として目標を定め、計画を組み立てなければならないのであり、幸福な家庭であるからこそ、それを超克しなければならないのです。」 (寺山修司「家出のすすめ」より)

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 見馴れた田園風景をあとにして、東京へ向かう。

 そう、私は数年前に東京を離れ、今は郷里に暮らしていた。

 新幹線から見える刈り取られた茶色い田畑は、冬の訪れを待つばかりで、四〜五十羽の白鳥の群れが鳴きながら飛んでいた。

 母を捨てるつもりだった。不満のないことが不満だった。一盗二婢三妾四妻、逃避行であればどんなに良かったか!

 そこからものの数時間で辿り着く東京。

 目的地「恵比寿ガーデンホール」。

 用意されたちっぽけな椅子が、私の目的地だった。

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拝啓 J.A.シーザー様

「冥土への手紙 寺山修司 生誕80年記念音楽祭」

 ありがたく拝聴させていただきました。

 ある一定期間の日に人生を凝縮する、「舞台」という名の、圧倒的なまでに甘美な一夜の儀式の、最期に録られた観客席に、私もいたのです。

 第二夜「田園に死す」。

 東京都目黒区恵比寿ガーデンホール字恐山。

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 もちろん、一夜限りの家出(笑)。

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