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[コメント] ゴジラ2000・ミレニアム(1999/日)

この映画、理解者佐野史郎に引っ張られ村田雄浩以下俳優陣は熱演を見せているし、大河原孝夫の演出にもかつてなかった熱意が籠もっていた。それが前半にしか活かされなかったのは残念だが、平成シリーズと一緒に見て欲しくない。
kiona

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







好きなシーン

※上空を飛行する巨大UFOが鏡となって大都市を映すシーン

肥大化し過ぎた頭脳が、肉体を失い、故郷を失い、虚無の宇宙を彷徨った挙げ句、生者の星を見つけ、奪い取ろうとする。極限状況において、究極の知性が最も野性的な結論に辿り着くアイロニー。言うまでもなく、ミレニアン(恐ろしく伝統的なネーミングセンス!)は人類と文明のなれの果て、その暗喩である。文明の現代と未来の対峙が脚本が内包していたはずのテーマであったはずなのだが、それが紛いなりにも具体的なシーンとして顔を出したのは、このシーンだけだった。

※向かってくるゴジラを前にして片桐(阿部寛)がタバコに火を付けるシーン

オルガが文明の末路だとすれば、ゴジラは文明の起源=人類が意図的に火を用いたその瞬間から誕生が運命付けられていた因果であった。内閣官房副長官として自衛隊を指揮する立場にある片桐は、いわば最も攻撃的な火を用いる人間の象徴として、そこにいた。彼が臨終を前にし、不敵にもタバコに火を付ける。持て余すほどに顕在する軍事力と核の炎、その救いがたい現状を表現したものと見えなくもないが、このシーンも断片として埋没してしまっている。

 …さて、こうやって少しまじめに書き綴るにあたり、書いた本人が照れを感じなきゃならないのは何故だろう?

 この映画における最大の失態は、ゴジラという某かからテーマを抽出しようと試み、設定を立ち上げながら、そのテーマを込めた設定を何ら筋に絡ませることができなかった点にある。登場人物をしてまたも傍観者に位置づけ、筋にできなかったテーマを語らせることに終始させるという、後半における過去の過ちの踏襲も残念だった。

 照れがあるのか? 建て前としてはゴジラがテーマを内包していると認めつつも、結局は“ゴジラなんて所詮安っぽい娯楽でしょ?”との世間一般の価値観に屈してしまう。結果、テーマを掘り下げなおかつ娯楽に持っていくという苦闘をやめ、ルーティンに貶めてしまう。そうなれば、テーマそれ自体が建て前に堕してしまうことを自覚しつつも。だからこそ観る側、語る側としても、感じたくもない照れを感じなきゃならなくなる。

 別にタコ星人出したから悪くなったわけじゃない。むしろ悲鳴を上げる予算の産物たるタコ星人に説得力を持たせようという気概が必要だ。リアリズムのガメラを賞賛するのはいいが、本来のSFとは荒唐無稽な展開と重厚なテーマの二律背反だったはずだ。この映画も立ち上げようとしたテーマが間違っていたわけじゃない。そのテーマに魂を込めようとしない中途半端な姿勢が残念なのだ。

 世間なんて無責任で、つまらなければ味噌も糞も一緒だが、言い訳したって仕方がない。ゴジラ作家よ、やる以上は照れるな、怯むな、抜き身になれ! ド本気のゴジラを創り上げて、世間をあっと言わせてくれ!

(評価:★2)

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