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[コメント] 座頭市物語(1962/日)

清潔で純粋
kiona

勝新太郎ビート武、或いは三隅研次北野武という主演同士・演出家同士のみを見てどちらに軍配をあげるかといった比較論はえてして空しい。前者の清潔と純粋、後者の冷血と不純は、どちらも作家の特性である以上に、彼の時代と此の時代をストレートに表象してもいるからだ。自らの時代を真摯に自覚し其処から逃げないのであれば、勝新版を観て数え上げる美徳は全て「彼の時代」に対する憧憬に他ならず、北野版を観て感じる失望は全て「此の時代」に対する自己批判に他ならない。

座頭市物語』は清潔で純粋だ。市は自分を慕う者にどこまでも温かく、友のために正面から傷つき、ギリギリまで血気の勇を戒めようとする。だからこそ、怒りは重く、望まぬ決裂も、告げぬ離別も素直に哀しい。また、不義が闇に切り捨てられる無情にも世の儚さが感じられるというもの。市に限らず登場人物の造形全てに行き届いた脚本の丁寧さ、カットを最小限に留め張り詰めた空気を封入する演出と演技の誠実さ、時代劇の定型に囚われず活劇を紡ごうとする伊福部音楽の勇壮さ、その他ライティング等に至るまで、全てが娯楽としての自らを自覚しながら実に清潔に純粋に人の美徳を謳歌しようとする。結果、モノクロの絵は水面のように透明だ。

多くの人たちと同じように、自分も憧憬を禁じ得ない。そして、どうしたら今の時代にこれを取り戻せるかに想いを馳せる、北野版こそが今の自分のものであることを自覚しながら。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (8 人)neo_logic[*] sawa:38[*] 荒馬大介[*] ペペロンチーノ[*] ペンクロフ[*] ジェリー[*] けにろん[*] ハム[*]

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