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[コメント] フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ(1966/日)

創世記を引いてみるにつけ、カインがアベルを殺した理由は明白である。神が弟アベルの献上品のみに目を留めた事を、兄カインが是としなかったからだ。解らないのは、何故、神は、カインの献上品に目を留めてやらなかったということである。
kiona

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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《たまには特撮そのものに関して書こうと思ったら、すでにあの人が、一番おいしいところを、(しかも余すところなく)喰っちまっていたので、悔し紛れのまたもや邪道系レビュー》

 兄弟喧嘩または近親憎悪(その結果の人殺し)…旧約聖書がしめすところの人が犯した最初の罪。その背景に、創造主の理不尽あり。二人の怪物を創造した主たる人間達の情け容赦ない振る舞いは、それに通じる。ガイラは哀しい。親によりサンダが肯定され、ガイラが否定されるに至った経緯は全くの偶然でしかない。各々の性格を決定付けたのは、各々を育てた環境が全てだった。親の愛を受けたサンダは親を愛し、親の愛を受けられなかったガイラは親を喰った。…各々に自分の運命を選ぶ権利は端から与えられていなかった。だからこそ、二人の闘争は、激しく、哀しい。

 考えてみれば、これは、今の特撮やアニメが拘り続ける一番大きな問題であるような気がする。金子修介も、庵野秀明も、この映画を好むと聞く。おそらく伊藤和典も、ガメラを書くにあたり、相当意識したに違いない。もっとも、伊藤は、ガメラ1において、潜在するドロドロした部分には余り切り込まず、構造だけをさらりと換骨奪胎し、潔い娯楽にしてしまった。その姿勢はまったくもって正しかった。一方、ドロドロした部分(精神的な部分)に首まで浸かってしまったエヴァンゲリオンを始めとするアニメなど(或いはガメラ3も…)は、果たしてこの映画を越えたか?問題をこねくりまわすのみで、真新しい答えなど何一つ導き出せなかったのではないか?無理もない。答えは、この映画ですでに出ている。

 創造主も創造された世界も理不尽なら、運命は不条理。そこには理屈を見出す余地などない。疑問の余地さえないのだから、結論など、何の脈絡も無しに起きる海底火山の噴火で吹き飛ばして貰う以外に無いではないか。和解を描けば嘘になるのだし、勝ち負けを決めれば善悪を捏造してしまうことになるのだから。

 確かに、作品そのものは、(本多自身が脚本に手を入れているものの、やはり、)いつもの本多特撮と同じように、どれほどの作家性を見出していいのか判然としない代物である。テーマは見出そうとすれば見出せるが、突き詰められてはいない“未完”ぶりだ。だが、その“未完”故に、いつも魅力を感じる。無理に結論が用意された映画にはない“可能性”が見えるのだ。

 ところで、前作や他の(五点を点けた)本多映画と比べたとき、一つだけ物足りなく感じるものがあった。人間のキャラクターがさほど魅力的でない点だ。アケミ(水野久美)は前作ほどフランケンシュタインと絡まないので、面白味に欠ける。スチュワート(ラス・タンブリン)は、ニック・アダムスの方が水野との絡みでしっくり来る。さらに、前作において第三の視点だった高島忠夫がいなかったのも、結果的に人間ドラマの密度を下げた。敢えて一点減点。

(評価:★4)

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