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[コメント] 猫の恩返し(2002/日)

活劇として応分に楽しめる良作。ただし、技術がどんなに向上していようと、ワクワクやドキドキは『ラピュタ』や『コナン』、あるいは『長靴をはいた猫』の域に届いていない。宮崎駿の不在がもたらす長所と短所を、強く感じた。
かける

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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「丁寧」であることは磐石な作品世界を、声の出演の俳優たちがしっかりと受けとめ、支えているのが印象的だった。実写作品などからくる「期待される役割」をしっかりと演じ、部分的にはそれをサラリと裏切ってみせる 、そういった類いの上手な仕事だった。

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丹波哲郎がいつもの調子の芝居を見せるのかと思いきや、軽妙なネコキャラをしっかりと演じているのには、ずいぶん笑わせてもらった(往年の「タイガー田中」がネコになってしまった……というのもおかしいけれど)

池脇千鶴(ハル)が濱田マリ(ナトル)よりもうるさく感じられた、というのは残念な誤算。時々セリフが聞きづらいほどだった。濱田がキッチリと演技をしていたのに対して、池脇はイキオイだけで突っ走っていたのかな、とも思う。

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ハルのキャラクターデザインは、漫画が原作だったにしても平板で、テレビアニメ的だったのは疑問。カッチリとまとまっている背景美術とは不釣り合いな印象もあった。猫の作画や動画が秀逸なだけに残念。 ロングのカットでノンキャラが写ったり、猫が画面に入ってくると安心する、というのは少々寂しい。

猫王のSPが、ブラックスーツを着ていたり(NIB=Neko In Black?)、イヤホンを押さえるしぐさを見せたりといった小ネタは芸が細かい。しかし、商店街の看板に「マツモトタカシ」や「ユニシロ」といったおふざけが大写しになるのは、劇場用作品としては悪ノリすぎ。

ラストのスカイダイビングシーンの「飛翔感」は、さすがジブリ! ところが……制服姿のハルのスカートの下が全く見えない、というのは不自然だ。表現や描写が、結果として「不自然」になってしまうような、PC的原理が持ち込まれていたのだろうか、と首をひねった。

もちろん、そういった要素を最初から一切排除しているのだ、と言うのならそれはそれでいいことにしよう。しかし、そうなると「ハル、胸を張って!」「胸なんかないーっ」といった会話こそ“そぐわない”ことになる。

また、「活劇」や作劇手法としての「ケレン味」については、演出力に物足りなさを感じる場面もあった。

例えばムタと兵士たちの格闘や塔でのスラップスティック……等の活劇描写。たしかに作画も動画もレベルは低くない。しかし、見せ所をキッチリと押さえていないせいのか、何やら物足りなさが残ってしまう。

ルーンの帰還シーンにしても、皇太子が近衛兵の一群と共に颯爽と登場……というのは、場面的に見せ場の一つになるはずだ。例えばバレエ『くるみ割り人形』で、くるみ軍(?)兵士が、クララを救うために隊伍を組んで登場するシーンは、それ自体ちょっとしたカタルシスになっている。

ところが、この作品ではなんのタメもなくさらっと流されてしまい、観客の感情の高揚は置き去りにされてしまう。猫王の兵士がゴロツキ風で、皇太子の近衛兵が中世フランス風の軍服(ベルばらだ!)を颯爽と着こなしている、という格好のお膳立てをしておきながら、肝心の描写は抑揚もなく平板。これでは観客は肩透かしをくらってオシマイ、だ。

若いスタッフに演出させる、という宮崎駿の方針は正しい。しかし、彼が「コピーのコピー(『千と千尋の神隠し』金熊賞受賞記者会見)」と称した世代は、原画作画の技量では、宮崎をしのぐ部分もあるかもしれないが、なにか肝心なところにミッシングピースを抱えているような気がしてならない。

スカイダイビングの映像をアニメーションとして昇華させることもできる。トンパ文字風のネコ国文字もさらりと書ける。それに、オスカルのような近衛隊長を登場させるお遊びなどわけもない。しかし……彼等は自分たちの経験として、どれだけのハラハラやドキドキを物語や映画、舞台から感じたことがあるのだろうか。

ジブリの若手スタッフは、語り手として必要な何かを多く欠いてしまっている、という思いだけが残った(そして宮崎は、高畑は何かが“過剰”なのだろう。ごくひかえ目に言って)。

もちろんそれは邪推かもしれない。しかし、例えば『長靴をはいた猫』を演出するときに、ペローの原作を読んだだけ、ましてやシナリオを読んだだけでは、あれだけの作品にはできなかっただろう。物語は、通り一遍の語り口では上っ面をなぞるだけ、それこそ「コピー」にしかならない。ストーリーテリングという魔法は、その人の来し方行き方を白日にさらすものでもある。

空飛ぶゆうれい船』や『長靴をはいた猫』に感じたハラハラやドキドキは、物語、活劇に対する憧れやリスペクトの成果だと思う。たしかに、この作品では、巧妙な作画技術を見ることができる。しかし、物語そのものの地力がどこか形骸的で、ハリボテ的なところで筆が止まってしまっている。

黒澤明は、写ることがないタンスの中にも設定に合う衣服を入れさせていた、というエピソードはたしかにパラノイアックだし、それが正しいとは思わない。しかし、そういった態度や思い入れがあるからこそ、形になる何かもあったのだろう。

宮崎駿が「コピーのコピー」と語ったことは、指摘としては確かに適当だったと納得するより他ない。また、かつての宮崎は、高畑は、語り手としての真摯な姿勢を確かに持っていたのだろう、と振り返ることとなった。

宮崎がジブリスタンダードで、本作がそこから落ちるのか。それとも、本作や『ジブリーズ』こそスタンダードで、宮崎作品は不世出の作品なのか……どちらにしろ、同じ製作会社の作品群としてはちぐはぐだろう。

(評価:★3)

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