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[コメント] ターミネーター3(2003/米)

尺の長さから考えてもこれは初めから純然たる活劇を志向したものだろう。確かに冒頭からアクションにつぐアクションで、しかも各シーンともよく設計されており飽きさせない。ストレートなアクション映画という意味では第一作への回帰だと思うのだが、今となっては一作目のような感銘は受けることは到底出来ない。
ゑぎ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 一作目からそうだし、凡そ「活劇」とはそういうものだと思うのだが、見る者の緊張を維持する「肝」はヤッパリ「生身の人間の生き残りに賭けた闘い」だ。悲しいかな多くの観客にとって人類存亡の危機に対する興味はあくまでも二次的なものに過ぎない。スカイネットの停止に賭ける話の運びでテンションを持続するには限界がある。そんな中で、もとよりジョン・コナーが生き残ることは観客にとって自明と云ってもいいのだが、潔くも映画の中盤でヒロイン・クレア・デーンズまで未来における役割が明確にされ、本作中で死ぬことは無いと了解させてしまう。またターミネーターとしてのアーノルド・シュワルツェネッガーも前作とは異なる個体であり、前作から継続する観客のセンチメンタルな心持ちをぶった切る。さらに彼は未来においてジョン・コナーを抹殺する個体であることを自認しており、にも拘らず主人公達を生き残らせることが任務なのだ。つまり、自分が殺すまで生かしておくということだが、この点においても、彼がジョン・コナーを「守る」というような人間的な感情に近いものを持ち得ないことを早々に了解する。(その割にはジョークが人間臭いので中途半端なのだが。)彼は所詮多量生産されたサイボーグの一個体に過ぎず、彼の死活に関しても我々は緊張を持って見ることが封じられている。つまり、あらゆる意味において生身の人間的な部分で観客の感情を揺すぶることは初めから放棄しているのだ。

 おそらく作り手達はそういったこのシリーズ上の制約やでっち上げた未来像の前提をようく認識した上で、観客を引っ張っていく戦略としてあくまでもアクション設計に重点を置いたのだろう。それはある意味冒険的な措置だし、画面の具現化も成功していて悪い出来ではないのだが、しかし、私はどうしても映画としての窮屈さを感じてしまう。

 また、多くの人が指摘する通り、活劇としてのヒーロー、ヒロインの魅力という点では失敗作だろう。かつてのハリウッド活劇のように、マッチョ+グラマー美女というステレオタイプなキャスティングを踏襲した方が良い、なんてことを云っているのでは無い。ニック・スタールのジョン・コナーもクレア・デーンズのヒロインも線が細すぎるのは確かだが、致命的なのはヒロインの成長が描かれない点なのだ。後半でスタールから「お母さんみたいだ」という科白があるのなら、クレア・デーンズが端的にもっとヒロイックな強い人間に変貌する演出が絶対に必要だろう。私は心の中で「ぜんぜんお母さんみたいじゃないよ」と呟いてしまった。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (8 人)Orpheus ExproZombiCreator t3b[*] おーい粗茶[*] トシ[*] ペンクロフ ダリア[*] シーチキン[*]

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