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[コメント] ラルジャン(1983/スイス=仏)

カラー作品における色の演出。
たわば

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この映画をワンカットごとに注意してみると、画面のどこかに「黒」が登場する。それは服装や小物、乗り物と様々だが、これらは物語にある「悪意の連鎖」を「黒い連鎖」として色彩で表現した演出だ。(それらは最初は映っていなくても後から出てきたりするので時間があればぜひチェックしてみてほしい)

そしてこの映画には、人物が黒いものに触れたり使ったりした時に悪意は伝染するという法則が演出としてなされている。例えばブルジョワの子供が友人にニセ札をもらう時に、彼が手にしていたのは「黒い本」。そして写真店で店主が主人公にニセ札を渡す時、金を出すのは「黒いレジ」であり、主人公が強盗に加担する前に飲むのが「黒いコーヒー」だったりする。これらはモノクロの黒では表現しきれないもので、あくまでカラーにしかできない「黒」の演出と言えるだろう。

やがて主人公は刑務所で黒に包まれる。といってもこの場合は色ではなく、人間の黒さである。刑務所内では裏取引が横行しており、脱獄をする者もいる。主人公はそんな黒い世界を受け入れず、拒絶するように死を選ぶ。しかし彼は一命を取り留め、その後悪意に染まってしまう。この時、病院で彼につけられる酸素マスクは、酸素を送るゴムの部分が「黒」である。「白」のシーツに包まれた彼に、「黒」の空気を送り込んでいるかのような演出はまるでブラックジョークのようで面白い。こうして黒い悪意を吸い込んだ彼は、出所すると殺人という黒い悪事を働くという黒い演出は見事と言うしかないだろう。

しかし、そんな主人公も最後には自首をする。それもホテルでの夫婦殺しの後ではなく、老婦人殺害の後にである。となるとこれは老婦人の何かが主人公に伝わった、と見るべきだろう。老婦人とは殺害前に、ともに芋を掘り、木の実を食べ合い、そして彼は老婦人の干した「白」の洗濯物に触れていた。これは「黒い悪意」が人に伝染するのなら、「白い善意」もまた人に伝わるのではないかという「白」の演出である。

だが、そこに行き着くには聖体拝領としての「赤い血」が必要だった。ここで1点、対になっているものに注目してほしい。写真店にあった暗室と、老婦人殺害の時の部屋の中である。どちらも赤いランプで照らされており、殺人現場はまるで写真現像の暗室そっくりである。写真のネガは、現像液を通すことで実像が浮かび上がる。主人公の心も、老婦人殺害の赤い現像液を通して、自分自身の罪を自覚した、そう考えることもできる「赤」の演出だ。赤といえば主人公が最初に赤い手袋をしていたことも、後に自らの手を血に染めることを暗示していた。さらにタイトルバックは青い現金自動受払機のアップであり、パネルの扉が閉まるところから始まるが、これは青い作業着を来た労働者(ブルーカラー)が社会から締め出されるという意味の対であろう。貧しい労働者が社会から締め出され、犯罪に手を染めるという構図は今も昔も変わらないのだ。

こうして主人公は老婦人殺害の後、黒い斧を池に投げ、同時に己の悪意も沈めたことで自首に至る。警官に連行されるラストシーンは、主人公が悪意のある世界から抜け出したことを意味している。そしてそこに集まった群衆は主人公が連れ出されたにも関わらず、主人公のいた部屋の方向、すなわち悪意ある世界を向いたままでいる。そんな彼らが見ているのは、映画の冒頭のような罪の意識のない悪意であり、映画がラストから冒頭へと循環するように、人が悪意を抱き続けている限り悲劇はまた繰り返されるのだと警告しているのだ。

この映画は「白」と「黒」、そして「赤」と「青」を中心にした色の映画である。これらはカラーでなければ表現できない色の演出であり、カラー作品とは本来こういう使い方をするものかと感心した。この作品は独自のカラーを持った深い色合いの映画であり、ブレッソン監督の才能が色濃く反映された作品と言えるのではないだろうか。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (7 人)chokobo[*] 赤い戦車[*] 3819695[*] ナム太郎[*] Orpheus ゑぎ[*] いくけん

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