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[コメント] チェンジリング(2008/米)

物語をドライヴさせる馬力には眼を瞠る。イーストウッドの戦いはより容赦無く、より内面的な場所で戦われるようになっている。母親の真っ赤な唇は受難者の流し続ける血の印だろう。

観ている間中、なぜ彼女があんな血の色みたいな口紅をつけているのか不思議だった。しかし観終わってみるとそれでいいのだとわかる。これはpassion(受難・情熱)についての物語なのだから。

映画は「黄金の20年代」を背景に始まる。イーストウッドはかねてからこの種の神なき経済的繁栄に冷眼を向けてきたが、今回も描かれるのはその裏面ばかりである。ある母親と共に私達はLAの地獄巡りをすることになる。そこで展開される光景は鬼も哭くハードさである。精神病院の堕胎・牧場の虐殺・絞首刑執行…。望みなどは持つなとイーストウッドは言っているかのようだ。

しかし戦いはそのような場所で行われる。それは不条理の中でただ正気を保ち続ける、といった種類のごくごく内面的な、目には見えない戦いである。しかもそれは終わることもなく続くのだ。44マグナムで頭を吹き飛ばせばカタがつくような状況はすでにない。受難者として血を流しながら生きること―それがこの映画の言う「責任」なのだ。だから彼女の唇がいつも赤いのは当然なのだ。血は途切れることなく流され続けたのだ。

これは受難劇―神に選ばれた人が人々の罪を背負って試練に耐える話―なのだ。イーストウッドの神は厳しい。試練は一方的に課せられ救いの手は差し伸べられない。それに耐え切った時(でもいつ?)ようやく神は(もしかしたら)姿を現すのだ。この「見えない神」こそが物語を強烈にドライヴさせている動力源だろう。その厳格さにはいささか肌に合わないものを感じないでもないのだが。

いずれにせよこれは、ハリウッド資本で撮られたとは思えない位ハードでへヴィな映画なのである。映画会社のお偉いさんたちは気付いているのだろうか?彼らの万人に愛される可愛い子供(映画)がいつの間にか似ても似つかぬ鬼っ子と取り替えられていることに。

(評価:★4)

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