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[コメント] パレード(2010/日)

この水準の邦画には年に数えるほどしか出会えない。脚本演出の出来は青春群像劇の良作『ロックンロールミシン』を上回っていて、行定勲を大いに見直すことになった。
shiono

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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ラストシーンから逆算して読み解くと、この物語は藤原竜也が見たゴーストストーリー(妄想)であるとする見方もできる。そのくらい突拍子もない演出で結末部を締め括っているのだが、この映画を考えるにあたり、まずはこのオチの部分は切り離してみたい。

ルームシェアをしていた仲間が次々に部屋を出ていくという出来事は、青春映画における通過儀礼の一つの姿である。林遣都という闖入者が触媒となって、化学反応が起き平衡が崩れるまでがこの作品の血肉である。

この映画はまさにその過程が面白い。まずあのアパートがよいではないか。世田谷区、築年数の古い2LDKの室内風景、アルミサッシとスチールドアで挟まれた若者の住まいは、貧相でもなく豊かでもなく、そこそこに居心地がよくて、人生の通過点として腰を落ち着けるには申し分ない。この舞台装置で登場人物の生活感=生活観をきっちり規定しているので、若きスター俳優たちが実に生き生きと競演できている。

こんな美女と美男子がひと部屋に揃うわけないよね、とは思う。だがフリーターやニートが暢気なモラトリアムをしているわけでもなく、夢と現実の境を棚上げにして、ただスターのオーラをずっと見ているだけで楽しいというのが前半で、その牽引役である貫地谷の表情や声には魅了される。

そうした人間観察の積み重ねの中に、彼らの心理がその行動から垣間見えてくる瞬間がある。同居人たちは(あのアパートではなく)他人の住居のベッドルームでのみ自分の身の上を語る。先輩の彼女の家に押しかけた小出恵介、同郷のテレビタレントと恋愛関係にある貫地谷しほり、林遣都が「何度か夜明かしした」メリーゴーランドの一夜での香里奈。それぞれのピロートークは感傷的だが、そうしたウエットな見せ場をそこだけに限定したのも良い。

こうして見るとやはり藤原竜也と林遣都は主役と準主役の特権的なポジションにあり、またそれに敵う芝居を両者ともに見せてくれている。藤原に関しては終盤で畳み込むように人物描写のエピソードが用意されているが、ひとつ疑問に思ったのが、藤原がTOHO CINEMAS六本木で竹財輝之助に会うシーン。藤原は自分の右頬を撫で、「自分のココ、覚えていますか」と竹財に聞く。この台詞は、竹財は過去に藤原を殴ったことがあると解釈したが、ということは藤原・貫地谷・竹財はかつて三角関係にあったのだろうか。藤原と貫地谷が以前デキていたのだとしたら、あのアパートの人物相関にはまた別の意味が出てくる。藤原の(別れかけの)彼女・野波麻帆も昔あのアパートに一緒に住んでいたのだから話は複雑だ。しかしそうした女がらみの過去は映画ではあまり頓着せず、原作への目配せ程度に留めているようだ。

それもこれも、藤原を軸としたミステリ/ホラーではなく、群像としての役者のアンサンブルに映画の力点を置いたという方向性の証左である。アメリカ(やイギリス)では、戯曲の映画化作品というのはひとつのジャンルを形勢しているが、本作もまたそのようなアプローチがなされた映画だと思う。ラストシーンにおけるリビングルームでの役者の芝居は、一時期私が親しんだ小劇場演劇の舞台を連想させた。

(評価:★4)

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