★3 | 運動靴と赤い金魚(1997/イラン) | スポ根めいたマラソン大会をクライマックスに持ってき、しかも、あらずもがなのスローモーションで盛り上げるというのが、どうにも画龍点睛を欠く感じで、それまでの3分の2にわたる抑制された慎ましさが霞んでしまった。ラストの突き放し方は良い。 | [投票(1)] |
★3 | 禁じられた遊び(1952/仏) | 年月を経て「遊び」の背徳性は濾過され、残ったのは従容とした農家の日常。家族の死さえ瞬く間に埋没する。だが、半端に巧いクレマンは打算との狭間で根源的モチーフに迫れない。「別れ」と「遊び」に因果関係が無いのもすっきりしない。 | [投票(3)] |
★5 | あの子を探して(1999/中国) | ド素人ばかりを使い、わけても主演の女の子の見目麗しくもなく性格悪そうなのがイタリアン・ネオリアリズモな伝統をに立脚してると思うそばから、フランス映画的小粋なエスプリも出してくる。あらゆる映画史に敬意をはらう藝謀の立ち位置の奇跡の理想形。 | [投票(1)] |
★4 | ガープの世界(1982/米) | リブもジェンダーもロイ・ヒルにとっては関心事ではない。空に舞う無垢なる赤ちゃんの笑顔の如くに自然体で生きることは難しく偏向した思想はそういう個人の生き様を圧殺する。それを怒りや皮肉でなく優しさで被う視線こそが本作の突出した部分。 | [投票(1)] |
★5 | サウンド・オブ・ミュージック(1965/米) | 児童映画めいた戦時下御伽噺でも贅の限りを尽くした意匠と演出のシャープネスにかかるとヒネた大人でも涙する。結婚式や音楽祭の巨大なリアリティとアルプスの大パノラマの透明感に素直に感銘した。そして、今でも「エーデルワイス」を聞くと胸が熱くなる。 | [投票(1)] |
★3 | 二十四の瞳(1954/日) | 全篇に流れまくる童謡唱歌が問答無用に涙腺を刺激する装置と化するので、逆にこの映画が内包するらしきロマンティシズムや反戦イズムは涙に霞んで見えなくなるという完全な戦略ミス。反撥を覚えつつも一種異様とも言える徹底振りには極北を感じた。 | [投票(4)] |