★4 | 鞄を持った女(1961/伊) | 冒頭のカルディナーレ登場から続く道路のシーンも印象深いが、最もグッと来たのは彼女が邸宅へやってきて家の前でジャック・ペランと会話する夜のシーンだ。なんという繊細なフィルムの手触り。ズルリーニの演出は実に端整かつスリリングだ。風呂上りのカルディナーレが階段を降りてくるシーンやラスト近くの浜辺のシーンもいい。 | [投票(1)] |
★4 | 夕陽のガンマン(1965/伊=スペイン) | これは決定的にリー・ヴァン・クリーフの映画。登場シーンから、その面構え、視線の演技、銃に対するフェティシズム、物語の基盤となる過去の記憶、どれをとってもクリーフがこの映画を支えている。 [review] | [投票(13)] |
★4 | 群盗荒野を裂く(1967/伊) | メキシコ革命が舞台と云えばコルブッチもレオーネも作っているけれど、それらに拮抗する傑作だ。本作には端整な佇まいというか名作然とした趣きがある。例えばボロンテの複雑な人間像。ラストは名セリフだがそこへ至る過程は一筋縄ではいかないものだ。ボロンテの弟を演じるクラウス・キンスキーだけ一人猥雑な狂気を体現し突出する。 | [投票] |
★4 | 荒野の用心棒(1964/伊=独=スペイン) | 黒澤『用心棒』と全く異なる映画であることを了解する。裁判沙汰まで執着した黒澤が大人げないと思えて仕方がない。例えば囚われの身になる女、『用心棒』で司葉子が演じた女の扱い、重要性が全く異なる。ジャン・マリア・ボロンテの執着度において決定的だ。 | [投票(3)] |
★2 | 東風(1969/独=仏=伊) | 面白い部分もあるにはあるが、おしなべてつまらない。それは当時の共産思想が陳腐化してしまったからではない。ここで試みられている映画話法の破壊こそが、私には陳腐化したものだと思える。フィルムへのグルグル殴り書きなんかを見ても全くスペクタクルを感じない。この映画の多くの画面と音は私には響いてこない。 | [投票] |