★5 | 廊下から登場人物がいなくなってからもしばらく廊下を撮り続けるカットに至ってはもう意味不明。1939年のやりたい放題。 [review] (寒山拾得) | [投票(2)] |
★5 | あゝもう完璧じゃないか。これも全カットが「映画は画面だ」と静かに主張しているかのようだ。そんな中でも、次の場面は特筆に値する、というか筆舌に尽くしがたい素晴らしさだ。 [review] (ゑぎ) | [投票(3)] |
★5 | カメラの移動と構図のみで、ここまで心的描写が可能なのです。 [review] (TM大好き) | [投票(3)] |
★5 | 『祇園の姉妹』と並んで初期溝口の代表的傑作だと思う。 (_) | [投票] |
★5 | 傑作のその上を表現する語彙の無い自分が惨めだ。 [review] (ころ阿弥) | [投票(4)] |
★5 | この丁寧で緻密でシーンごとにほんとに迷いながら進んでゆく物語と演出に触れて、そっか今の映画の脚本はパターンで書かれているんだ、と思った。ちょっとした逡巡や、想い余っての勇み足などのディティールが「痛い」のは、脚本家も監督も役者も、高を括らずに物語を真摯に生きているからだと思いました。グローバルな品質の逸品。 (エピキュリアン) | [投票(4)] |
★5 | かつて居たところに再び戻るというモチーフに弱いことは前から自覚しているのだが、本作は群を抜く出来栄え。照明をぎりぎりに落として多目の暗部で余情を生む画面、長回しに耐えうる奥行き表現、物売りや浄瑠璃語りの声を多用して発生するリアルさ。傑作と呼ぼう。 (ジェリー) | [投票(4)] |
★4 | 溝口の長回しに花柳章太郎も森赫子もよく付いていっている。舞台を思わせる、流れるが如きその演出はただ見事。[新文芸坐] (Yasu) | [投票] |