★5 | 始めて見た時は他人事として性愛部分を見ていたが。いい歳になって見返しても、神代監督の指向は男と女の間にあるものではなくて。人間内部に向っていて。それは宇宙的ともいえる人間内部の描写に成功している。 (ALPACA) | [投票(4)] |
★5 | その時の、その二人にしか判らない、愛とか恋とか欲望とか色々な名前で呼ばれる得体の知れぬ感情を、ありのままの姿でフィルムに焼き付けたことに、まず感激そして感謝。これが単なる演技だなどとは思いたくもないし、そもそも演技の無いセックスなんてあるわけがない。本能の芝居、ポルノの本質がここにある。 (町田) | [投票(4)] |
★5 | 中上健次の原作「赫髪」が熊野をずっしり引きずっているのにに対して、『赫い髪の女』は熊野に限らず、普遍的に描かれていると考えてもよいのじゃないか。原作に負うところが大きいというより、よくぞここまで描いたという印象の方が強い。 (まご) | [投票(1)] |
★5 | 一歩部屋を出ると不安におののき、密室では一変して激しい性への渇望をあらわにする女。宮下順子の演技には、生への本能と活力が溢れている。『愛のコリーダ』とならぶ性愛映画の傑作。神代監督の充実ぶりは凄い。 (ぽんしゅう) | [投票(6)] |
★4 | 時として「にっかつロマンポルノ」はその枠から這い出そうともがき苦しむ作品を生み出す。同様に宮下順子も「ただのポルノ女優」から這い出した。ソレを世間に認めさせた芝居と神代辰巳の演出に★4。 (sawa:38) | [投票(1)] |
★4 | 薄汚くてイヤになる。邦画=陰鬱だった時代の遺産。 (reif) | [投票] |
★3 | 過去になぞ興味無く未来なんてどうでもいいという刹那は解る。だが性欲世界に埋没していきそうに見えて、しかし結構リアルな生活者であったりする。その匙加減の問題。日常を引きずった台詞からは、かえって作意が垣間見える気もするのだ。覚悟が欠如してる。 (けにろん) | [投票] |
★4 | 周囲の「傑作」の声に押されて今は亡き並木座へ。20歳の若造が観てもわからないことだらけでどこが傑作なんだ?と憤慨して帰った。その後、いくつもの出会いと別れ、成功と挫折を経験し、機会があり再見。「ああ、成人映画というものはその字の通り、人に成らなければわからないものなんだ」と実感したのを覚えている。 (tkcrows) | [投票(2)] |