★4 | 冒頭シネスコに仏語クレジットの恰好良さ。出そうで出ぬ幽霊の奥床しさは『雨月』な日本の伝統的嗜みを備える。毒素が草木を蝕む庭園は『カリスマ』初期コンセプトで土壌の融解は『叫』の再構築か。そういうモチーフをまぶすこれ見よがしでしたたかな作家性。 (けにろん) | [投票(3)] |
★4 | 敢えて文学の連想から第一印象を記せば、上田秋成「雨月物語」の世界で芥川龍之介「地獄変」の人物が横光利一「機械」を演じる、といったところか。芸術を最優先する男の周囲に幽霊が現れるが、それは塩化鉄に侵された頭、もとい水銀中毒が見せる幻やもしれぬ―という即物的解釈の可能性は排除されない。 [review] (3819695) | [投票(2)] |
★4 | 抑制のきいた画面もさることながら、気品を失わない人物同士の想いの交錯は良質のゴシックホラーを感じさせる方向性を向く。人間の感情を排したゾンビ映画の氾濫いちじるしい昨今にあって、登場人物は類型的ながらきちんとその思いを吐露してやまず、それが凡百の妖異を超えた怪物性を発揮する。その「醜さ」は美しく正しい。 (水那岐) | [投票(2)] |
★4 | 特殊効果やCGのこれみよがしな利用を極限まで排し、描写や陰影で感じさせるその技。 [review] (t3b) | [投票(1)] |
★3 | 愛することと拘束することの物語。人の想いを永遠に定着させる写真は、人の時間と動きを奪う「死」の代替物でもあるということ。写真家は娘や妻に永遠の「生」を与えるために時間と動きを奪い死者の態を強要する。そして、その行為は写真家自身の心をも拘束する。
[review] (ぽんしゅう) | [投票(1)] |
★2 | 黒沢清が「ダゲレオタイプ」と「女」を撮るならこうだろう、という予想の範囲内に過ぎないという文句は矛盾しているだろうか。清の映画でこのタイトルだと知って観ているのだから。 [review] (煽尼采) | [投票(1)] |
★2 | とうとう俺は黒沢清が分からなくなった。 [review] (ペペロンチーノ) | [投票(1)] |
★2 | この結末はないわ… (ユウジ) | [投票] |