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★3去り行く男(1956/米)グレン・フォードが少し格好をつけすぎる一方、男の妬みの醜さをロッド・スタイガーが実に憎たらしい顔つきで演じて懲悪の段取りをつける。風景のパノラミックな構図取り、屋内の配光もいい。デルマー・デイヴィスも画面造型力に優れた演出家だが、ここはさすがチャールズ・ロートンJr.と云うべきか。[投票(1)]
★4密告・者(2010/香港)香港の都市性に基づいて空間の逼迫した「逃げる」アクションが焦燥感を養う。むろんその頂を占めるのは椅子で埋め尽くされた廃校だ。それにしてもニコラス・ツェーニック・チョングイ・ルンメイのズタボロになるさまが目を疑うほどにエクストリーム。ダンテ・ラムはここまでやらねば気が済まぬのか。[投票(2)]
★3サルトルとボーヴォワール 哲学と愛(2006/仏)アナ・ムグラリスがいればこそ見ていられるが、ことさら貧相に撮られているでもないのに一見して「あ、テレビ映画だ」と分かってしまう作りに作品の器量の限界がある。サルトル軽視/ボーヴォワール重視の姿勢で「偉大な」思想家をメロドラマ未満の卑小な痴話喧嘩の主人公として描く企みは成功している。[投票]
★2POV 呪われたフィルム(2012/日)いくら私が設定や芝居のもっともらしさに頓着しない傾向の観客でも、これを堪忍できるほどの徳を積んではいない。「写るはずのない/写ってはいけないものが写っている」恐怖が実現したのは贔屓目に見ても一ヶ所のみだ。演出が本気で観客を騙そうとしていない。出演俳優も軒並み株を下げたのではないか。[投票]
★4アニマル・キングダム(2010/豪)ハリウッド・スターとは懸け離れた芋面どものあたふたを眺める愉快はある。主人公の少年に一向に主人公らしさが与えられないのはもちろん作者の期するところで、ゆえに却ってラストシーンが決まる。全般に官憲の登場の仕方もいい。ただし、題名が期待させるような畑正憲的展開を確認することはできない。 [review][投票]
★4ものすごくうるさくて、ありえないほど近い(2011/米)人と人の繋がり、もしくはコミュニケーション、あるいはもう少し正確を期して云い換えれば「他者との接点の生成」について豊かに描いている。その方法の代表格は云うまでもなく「会話」だが、ゆえに他者と会話を交わすことに難を抱えるトーマス・ホーン少年のキャラクタリゼーションはここで必須である。 [review][投票]
★4ヤング≒アダルト(2011/米)シャーリーズ・セロンが断然すばらしい。実際に隣にいたら張り倒したくなるような高慢ちきでも、スクリーンを介せば観客は彼女の可愛げを発見できる。だが、それもジェイソン・ライトマンの広い視野と細かい仕事があればこそだ。演出家の慈しみが主人公を喜劇の犠牲から救う。ラストの処理も支持したい。[投票]
★4永遠の僕たち(2011/米)「微笑み」の映画。彼と彼女の清らかな恋愛は「熱烈な男女愛」というよりも「好意」とでも呼び留めておくほうが似つかわしい。ただしそれは、掛値なしの、無条件の好意だ。ミア・ワシコウスカが初めてヘンリー・ホッパーに(そして私たちに)顔を見せるカット、その振り向きざまの微笑みがそう思わせる。 [review][投票(5)]
★3レールズ&タイズ(2007/米)トム・スターンを初めとしてクリント・イーストウッド組スタッフが勢揃いして作り上げる画面は、照明設計の人工性が際立つカットなどにおいてはクリント監督作とほとんど見分けがつかない品質だ。不用意な溶暗の濫用や歌曲の挿入など隙の多い演出も『グラン・トリノ』『インビクタス』的と云えば云える。[投票]
★3サラの鍵(2010/仏)たとえば序盤の何気ないシーン、病床の義祖母が「『テザック夫人』と呼ばれうるのは私だけだ」とクリスティン・スコット・トーマスの呼び名を米国風に訂正する場面ですでに周到に提示されている通り、ともかくも「名前」の物語である。人を探すこととは、その名の持ち主を探し尋ねることにほかならない。 [review][投票(3)]
★3ALWAYS 三丁目の夕日’64(2012/日)もっと気の利いた小挿話が欲しい。同じ話(血縁のない「家族」との別れ)を吉岡秀隆家/堤真一家交互に語る構成に趣向が欠け、展開の間延びと情動の寸断が甚だしい。堀北真希小雪に悩みを吐露するシーンなど両家が交わる箇所には、年月を経て養われた物語世界に特有の重層的な情緒が漂って不味くない。[投票(1)]
★4情無用の街(1948/米)リチャード・ウィドマーク率いる犯罪組織の規模が程よい。構成員は一〇名足らずか。ボスのウィドマーク自らが実行犯も務めねばならないというのが却って彼の口だけ番長化を妨げ、平等な労働感を生んでいる。勢力拡大を図る新興組織にふさわしく、構成員のリクルート法を念入りに描いたあたりも目新しい。 [review][投票(1)]
★3哀しき獣(2010/韓国)「誰ひとり(観客さえも?)状況を正確に把握できなくとも、事態は不可逆に進行しつつある」という世界認識こそが優れてフィルム・ノワール的なのだから、これを「脚本が拙い」の一言のもとに断罪したくはない。極力「拳銃」を排除して「手斧」「包丁」を特集した暴力も作品の人格を端的に徴づけている。 [review][投票(5)]
★3ミツバチの羽音と地球の回転(2010/日)理がどちらにあるのかは今や明白である、という主張を映画らしい方法で裏付けているのは海上の作業船と埠頭の反対派住民が対峙するシーンだ。物理的距離を隔てた対決の構図をよく撮り収めたカットがないのは手落ちだが、反対派若手リーダの本気顔がいい。映画においては「顔」こそが最大の説得力を持つ。 [review][投票]
★4ウィンターズ・ボーン(2010/米)「不思議なことなど何ひとつない」と云わんばかりの口調で語られる『不思議の国のアリス』。「土地」を感覚させる表現の恐ろしさが断然にアメリカ映画だ。カントリー音楽、より厳密には「バンジョー」もそのユーモラスな形状と音色で映画の感情を引き裂いて、果てはラストカットにおいて感動を形づくる。 [review][投票(1)]
★3カラーパープル(1985/米)スピルバーグは八〇年代を通じて私を打ちのめす映画を一作も撮っていない。この散漫な仕上がりをジョン・ウィリアムズの不在に託けても虚しいだけだろう。家屋周りの撮り方など琴線に触れかかるところもあるが、キャラクタ(俳優+演技演出)の貧弱さと尺意識の希薄さが映画の躍動を致命的に奪っている。[投票]
★450/50 フィフティ・フィフティ(2011/米)演出と配役が一体化した好例だ。この演出とジョセフ・ゴードン=レヴィットは互いを不可欠のものとして要求し合っている。そして、生きることとは痕跡を残すことであると主張するかのような「痕跡」の映画だ。火山の番組、別れた彼女の絵画、丸刈りの頭、手術跡、セス・ローゲンが書物に加えた書き込み。[投票]
★3ヒミズ(2011/日)この緊張感は芝居のそれであって画面のそれではないというお定まりの批判は残念ながらいまだ有効である。ともあれ園子温はキャラクタをエキセントリックに仕上げながら『ヒミズ』を驚くほど古典的かつ道徳的な物語として語り直す。『罪と罰』の構造を借りつつ主人公のモティヴェイションは反転している。 [review][投票(4)]
★4或る殺人(1959/米)作中人物は皆ある種のチャームを湛えているが、観客に同情・共感・感情移入を強いるような造型ではまったくない。キャラクタ全員を平等に突き放したオットー・プレミンジャー演出は真にドライだ。それでもこの裁判劇はすこぶる面白い。その点でこれは増村保造黒の報告書』に並ぶ法廷映画の傑作である。 [review][投票(2)]
★3ピザボーイ 史上最凶のご注文(2011/独=カナダ=米)これでは空騒ぎだ。キャラクタが弱い。助演陣が迫力に乏しいのは致し方ないにしても、ジェシー・アイゼンバーグでさえ愛するに足る人格を創造できていない。しかしこの速度感とヴォリウム感で八二分間を走り切るルーベン・フライシャーのストーリテリングはクラシックのBムーヴィを想わせるものがある。[投票(1)]