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[コメント] 父と暮せば(2004/日)

原爆を描きながらこれ見よがしに(下品に)ならないストーリー。宮沢りえの清冽と原田芳雄の不器用な暖かみはそれだけで我々の琴線にふれる確かな力をもつ。それだけに黒木和雄の老婆心が作品のプラスになっていない点が惜しまれる。〈04年9月1日付記〉
水那岐

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







頑固に我が身の幸せを拒否する宮沢りえと、そんな彼女に懸命に生きてゆく価値を伝えようとする父・原田芳雄。ある時はコミカルに、またある時は胸をえぐるように切なく心に迫るふたりの演技は、ともに大きく評価されるべきものだろう。この映画の価値はそれに集約され、立派にそれだけで光を放っている。

それを黒木和雄は何を思ってか、CGのキノコ雲、原爆ドーム、丸木夫妻の「原爆の図」などをあちこちにサンドイッチすることによって、自ら作品を説教臭く、かつ無粋なものに貶めている。

例えば原田が演ずる「広島の一寸法師」…原爆でハリネズミ状になった瓦、またグロテスクに歪んだ壜を持ち上げ、それをもって鬼を退治する話をでっち上げることでいかに宮沢が怯えたか。その場面だけで原爆の恐怖は充分伝わるではないか。

また、底抜けに明るく振舞う親父が、実は原爆で体じゅうを焼かれ、何とか助け出そうとする娘に、イカサマジャンケンで「逃げるか助けるか決めろ」と助け舟を出したあの日を語るシーンで、ふたりの間の悲しさは伝わるではないか。修学旅行で広島に行く生徒たちの数を考えれば、手乗りキノコ雲や、台所の天井になっている原爆ドームのようなサムシングは必要ない(と思いたいし、真っ当に育った若者の想像力を信じたい)。

黒木は井上の戯曲を忠実に映画化することを目標とした筈だ。付け加えるなら、せいぜい浅野忠信の存在だけにとどめておくべきだった。原田の言う「人間のかなしかったこと、たのしかったこと」を伝える作業というのは、鬼面人を驚かすようなやり方でなされるべき事ではないだろう。『美しい夏キリシマ』において醜悪さに目を覆わしむるシーンなしに、戦争を描くフィルムを創りあげた黒木にしてその答えはすでに出ているに違いないのだが…。

なお、誤読されそうな部分について付記しておく。娘が「生かされて」いるのは、咎なくして死んでゆく多くの弱者たちの思いを語り継ぐためで「も」ある。だが父としては、自分が被爆していることのみに悩み、また死んでいった多くの隣人たちを踏み台にしての幸福など要らない、とおのれをあえて犠牲にする彼女の生き方を変えてほしいのでもあるのだ。生きているからには幸福を掴み、俺たちが得られなかった平穏を手にしてくれ。父はそう願っているはずだ。広島がいつまでも「被爆都市・ヒロシマ」であることは、ある意味必要かもしれないが不幸なことでもある。それは未だ同じ不幸が世界のどこかに存在することの証しでもあるからだ。今、広島は西日本でも指折りの都市のひとつに復興して久しい。広島という街にとっては、それが一番相応しい在り方である筈だ。広島に生きている子供たちが大きくなった頃、原爆ドームは時々歴史のひとコマとして思い出されるくらいのちっぽけな建物であって欲しい。それが死者たちの鎮魂のための望ましい在り様なのだと信じてやまない。

TOMORROW 明日』が絶望的な闘いの衝撃を喚起し、『美しい夏キリシマ』が報復合戦の愚を記したものであるならば、この作品は「救済」となる位置にある作品であるべきだ。死者である父にとって、いつまでもこの世に呼ばれ続けることは本意ではないのだから。

(評価:★4)

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