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[コメント] 誰も知らない(2004/日)

誰も知ろうとしないし、知らせようとしない
蒼井ゆう21

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この映画における「誰も知らない」状態は、例えば空き地にある古い井戸跡にうっかり落ちることによって、物理的に誰も知ることができないし、知らせることもできないような状態なのではなく、(いざとなれば)知ることはできるし、知らせることもできるような状態。コンビニの店員は彼らがどのような状態にあるのかをある程度知っているとも言えるかもしれない。でもそれ以上知ろうとはしない。それは、都市化によって見ず知らずの人と出くわすことが多くなった結果人との関係がドライになったからかもしれない。子どもたちも、自分たちを助けてくれるような公的施設の存在を知っているにもかかわらずそれを利用しようとはしない。それは、主人公が母親から背負わされた責任感によって(そうすることによって母親から見棄てられないようにするため)、あるいは福祉施設を利用することで家族がバラバラになるのを防ぐこと、また、一般的な不信感など、が相互に重なり合った結果からかもしれない。いわば、物理的な要因ではなく、心理的な要因が大きく作用しているように思われる。

「子ども」について人々が抱く観念は歴史社会的に異なる。例えば子どもに対する愛着は現在のような形では過去には存在しなかったという人もいる。この映画の子供たちの年齢であれば、過去においてはもう大人と同じように仕事をし、年下の兄弟、姉妹の面倒を見ていた可能性もあり、そう考えると、この映画に出てくる子どもたちのやっていることが、けして普遍的におかしなことをしているのかどうかは言えないところがあると思う。また、昔にもこういう適当な親はいただろうし(もしかしたら今よりももっと多かったかもしれない)、適当な親に見捨てられる子どももいただろうと思う。

なので、気になったのは大人が保護・教育すべき無力な子どもがそれにもかかわらず大人から見捨てられ、自分たちだけで生活の糧を手に入れ、兄弟姉妹の面倒を見て生きている、ということよりも、いざとなれば依存できるにもかかわらずそうしようとしないこと、のほう。その選択を敢えて拒む理由はどこから来ているのか。例えば部屋から一歩も出てはいけない、という内的なルールがその選択を拒んでいることと関係しているのではないだろうか、という気がした。そして、そのことによって依存するという選択肢を選べないのだとしたら、親から物理的に見棄てられる以上に怖いように思える。

(評価:★4)

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