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[コメント] 約三十の嘘(2004/日)

約三十の嘘』の、大小約十三の失敗。
町田

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







1:演劇をやりたいのか、映画をやりたのか判らない(キャスティングミス、脚色の失敗、演技演出の不統一)

本作の原作は土田英生の同名舞台劇である。だが映画である以上は映画にしてもらわなければならない。演劇的即興性を含んだ映画を志向したい、というのならばそれはそれで結構だ。しかし、この作品は如何にも中途半端だ。いや、チグハグと云った方が良い。映画的な「自然さ」を志向している俳優と、演劇的な「芝居っぽさ」を志向している俳優の個性が、モロにぶつかりあっている。

椎名桔平中谷美紀妻夫木聡伴杏里は一般ドラマ映画的な「自然さ」を志向している。意識的にそうしているのかどうかまでは不明だが、発声から立ち居振る舞いまで、あくまで「自然」だ。自己の個性に基づいて、過剰な劇性は無い。

一方、田辺誠一八嶋智人の両名は、明らかに舞台劇的な演技を志向している。観客の視線を喋っている自分の方に向けようという、大きい芝居だ。三谷組の八嶋は、多分、こういう風にしか演技が出来ないのだろうから仕方ないとしても、映画慣れしているハズの田辺までがどうしてこうなってしまったのだろうか。

2:「一幕もの」に相応しい音楽

本作は走行中の旅客車内のみを舞台にした一種の密室サスペンス、ワンシチュエーションドラマである。それは如何にも舞台演劇的であると同時に、優れて映画的な美味しい題材である。

作品の音楽監督を担当し、楽曲を提供するのは横山剣のクレイジーケンバンドである。劇中、人物の心情に併せて彼らの楽曲が次々と鳴り響いて、画面を盛り立てようとする。

どちらも単品でなら、とても楽しめただろう。しかし、これもやはり食い合わせが悪過ぎる。

まず、現実空間と拘りの無い音楽は、一幕ものの緊張感を著しく損なう。『ノーマンズ・ランド』程に徹底しろとは云わないが、もう少し何かあったろうと思う。また、如何にバラティに富んでいても、所詮ロックはロック、ポップスはポップスである。フィルからイントロ、主旋律という固定された流れがある以上、それほどの変化が味わえるわけではない。同一ミュージシャンの手による既成楽曲の羅列は、インストバージョンを絡めたところで劇伴には成りえないのだ。

カウリスマキを愛好する横山ケンは、自分の音楽が「画面を汚している」ことに本気で気付かなかったのだろうか?俺は彼を買いかぶりすぎていたのだろうか?

3:コンムービー(詐欺師映画)としての幾つかの失敗

序盤で、田辺誠一が披露する基礎的な心理トリック。それが全体構成にフィードバックして来ない。これでは本当にただの一発芸だ。どんでん返しのコンムービーに、その場凌ぎの不要シーンは許されない。

伴杏里のマジックが本筋に全く絡んでこない。彼女のアイデンティティは男たちを惑わす巨乳だけである。ならば、奇術師などという設定など捨ててしまうべきだった。彼女のマジックは彼女が「劇」に参加するための作り手側の「言い訳」にしか聞こえず、彼女がマジックを見せるシーンは、退屈で何の意味も説得力も無く、その場凌ぎにさえなっていない。

椎名桔平が「ごめん、ごめん、咽喉飴落としちゃった」というシーン。あれは、声だけで表現すべきで、椎名のケツをカメラは追うべきでなかった。あれでは判り易すぎる。余りにも不自然なショットで目立ち過ぎだ。

4:再生のドラマとしての青臭さ・胡散臭さ

「仲間を信頼する」「このメンバーで遣りたいんだ!」詐欺チームの団結を、劇団・映画制作・その他共同作業に普遍化しようという青臭さ・安直さ。そんなことは幕が上がる前に、円陣でも組んで叫んどいて呉れ、と云いたい。歌にしても、芝居にしても、こういう青臭いメッセージをそのまま聞かせられると、コイツら本当に云いたことなんか何も無いんじゃないか、という気持ちにさせられる。

結末について。個人的に、最期に鍵を持っているのは中谷美紀であるべきだったと思っている。想いを寄せる椎名桔平を愛の力で再生させ、傷心の妻夫木聡を一回り大きい男に成長させ、チームは復活、おまけに犬猿と思われていた伴杏里と実は組んでいて金は二人で山分けだ、という方がどんでん返しとして全然爽快だったと思う。

中谷と伴が対決するシーンは、伴ばかりが悪者になってしまってクライマックスとしては苦過ぎるし、そういう彼女が実は妻夫木と組んでいました、と云われても、何の爽快感も味わえない。作者の善意がメンバー6人全員を救おうとした為に、却って伴と妻夫木の再生が、うそ臭い上辺だけのものとなってしまった体だ。

5:「ゴンゾー」最悪

作者らにもその「面白く無さ」がわかっているから、ほら、目がどうだだの、説明が付く。非常にうざったいことこの上ない。

実は、私、この映画に相当期待していた。大谷監督は、若手監督としては輝かしい実績があるようだし、クレイジーケンバンドのセンスも好きだし、脚色に『ジョゼ』の渡辺あやが参加しているし。2004年最期の、そして2005年最初の大傑作に違いないとまで期待を膨らませていたくらいだ。それだけにこの出来は余りにも残念だ。残念過ぎて泣けて来るくらいだ。

ああ、本当に哀しいよ、俺は。しばらく立ち直れないかもしれない。

(評価:★2)

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