[コメント] サマリア(2004/韓国)
ギドクが遠くから見つめるとき、スクリーンには優しさが充ち溢れ、それが私を幾たびも驚かせ、昂奮させ、そして何かを促してくれる。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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生まれたばかりの不器用な生き物のように、川原を這い回る少女の自動車。「S字の通行」と、「正しい止まり方」だけを教授して、父親は舞台から退場してしまう。
父親は安堵したのだろう。その前夜、寝床から抜け出て独り涙を流す少女の姿を見て。
私は思う。
人が人を根底から改悛させることなど出来ないのではないか。愛だの正義だの振りかざしたところで、人が人を塗り替えることなど出来やしないのではないか?それが例え肉親でも、親友でも、男でも女でも、天使でさえも。
私たちは、彼女を取り巻く、そう、水でしかないのだ。水には彼女を洗い流すことは出来ない。取り除けるのはせいぜい、泥と血と精液くらいだ。だから水は見守るしかない。いつでも寄り添って、潤し、冷まし、染み込んで、彼女の自発的変化を待ち続けるしかない。いきり立って彼女を飲み込んでしまってはもともこもないのだ。
全ての人間に、罪(便宜上、この言葉を用いるが)を犯す可能性が秘められている。そして、だからこそ、彼らにはそこから再生する権限が与えらている。権限。それは自らを裁くことだと私は思う。それこそが親から子に、師から弟子に、先輩から後輩に、伝えられるべき、唯一のことだと思う。
この映画は正に、私を見つめ返し、潤す、美しい水のようだった。
彼の映画をリアルタイムで体感出来るなんて私は本当に果報者だ。
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