[コメント] ハリー・ポッターと炎のゴブレット(2005/英=米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
今作ほど、他の方の感想を聞きたいと思った作品はありません。というのも、私自身この映画をどのように評価すればよいのか、未だに分かっていないからです。先行上映で"とりあえず"観て来よう(あと1、2回は劇場に足を運ぶつもりでいます)という私の心構えからして問題があったのかも知れませんが、原作未読の方にはこの上なく不親切な映画であった事には間違いありません。私は原作の大ファンですが、映画シリーズのファンでもあります。私にとっては難しい事ですが、映画を観る時には頭から原作の事を排除して映画だけに集中しているつもりです。それだけに原作未読の方の事を思うとやはり不親切極まりないなと思ってしまいます。先行上映を観た後、私にとってはあまりに評価が難しい出来だったので、公開初日に再度鑑賞して参りました。それでも評価はまだ難しいですが、なんとか私の中で考えをまとめてみました。
まず初めに、今作も前作『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』同様、原作と映画を比較してのレビューになってしまいますので、原作をこれから読もうと思っている方がもしいらっしゃれば、充分ネタバレにご注意願います。原作を読む予定のない方は、へー、そうなんだと思っていただけると有り難いです。前回レビュー同様、今回も「良かった点」と「悪かった点」をまとめてみようと思います。まずは良かった点から。
●視覚効果
今作が他の3作品と最も違うと思われる点は、映像であったと私は思います。まずクィディッチワールドカップ。これは本当に素晴らしかった。物語の序盤にこのような素晴らしい映像が入ってくると、ストーリーに入り込みやすいと思いました。ビクトール・クラムの紹介の仕方であるとか、試合前の観客の高揚感、またスタジアムの造形等、胸がワクワクする映像でした。とても贅沢な前菜を出されたような感覚を覚えました。とても良かったです(ただ、気に入らない事もありましたが、それはまた後ほど…)。また、ボーバトンの馬車やダームストラングの船もそれぞれの校風に合わせたヴィジュアルになっており、インパクトもあったしとても良かったと思います。またブーツの移動キーがある丘に登っていくシーンは美しい朝日を背景に、人間のシルエットが浮かんでとても綺麗でした。うわー、ハリーポッターでこんな綺麗なシーンが観られるんだー。と、とてもいい気持ちになりました。
●大胆な編集
原作はこの4巻からとうとう2冊に分かれてしまいます。3巻(『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』)程度の長さが集中力を維持出来る限界であると思っている私にとっては、原作の4巻以降は少々間延びした感が否めません。そんな尺の長い小説を映画にするという事はどれほど難しいか、私ですら想像に難くありません。しかも原作に追いつく勢いで映画が製作されている今、今後に繋がる伏線なんかは原作読者ですら分からない状況になってきています。なのでどこを端折ってもいいのか、どこだけは外せないのか、そういった判断は最早J・K・ローリングしか無理なのでは・・・という現状。そんな中思い切ってカットしたエピソードや人物も多々見受けられますが、これは本当にどうにもならない事なので、原作ファンも涙を飲んで受け入れる他ないようです。ちなみにうちの母親なんかは屋敷しもべのエピソード(S.P.E.W「屋敷しもべ妖精解放運動」)が大好きだったのでウィンキーやドビーが出て来なかったのは残念だったようです。前作でも大胆な編集は見受けられましたが、今作はそれに拍車をかけています。原作未読の方の想像以上に膨大なエピソードが端折られています。もし気になる方がいらっしゃれば、原作を読む事をお勧めします。面白いエピソードや怪しい人物など、映画では見られなかった面白い部分も多々ありますよ。よくよく考えて見れば今まで1冊だった原作ですら端折られているんですから、今回は1冊以上分が端折られているって事ですもんね。
●伏線
オープニングの"リドルの館"のシーンで既にバーティミウス・クラウチ(息子の方)を出しておいたのはとても良かったと思います(原作では出てこない)。原作を初めて読んだ時に、マッド−アイ・ムーディが実は別人だったという事に少なからずも衝撃を受けたからです。ずっとムーディだと思い続けて読んできたのに、ラストで唐突に「別人でした」なんて言われても、それを受け入れる態勢が出来ておらず、なんとも言えない違和感を覚えたのです。その点映画の方ではオープニングに怪しい人物がいる事を匂わせておいたり、ポリジュース薬(『ハリー・ポッターと秘密の部屋』を参照して下さい)がトイレの排水溝に詰まったと嘆きのマートルの台詞に組み込んだり、スネイプの研究室からポリジュース薬の材料がなくなっている事をそれとなく匂わせるなど、原作より伏線の張り方が巧いと思いました。また、原作ではムーディがものすごく重要な立場として描かれています。"許されざる呪文"を教える授業ももっと迫真に迫るものがあり、3つの呪文がものすごく恐ろしいものに感じました。またそのような授業を行うムーディは、生徒から恐れられつつもクールだと人気のある先生として描かれていました。その割に映画ではたいした出番もなく、見せ場もそんなにない。原作では読み手もかなりムーディに好感を抱いていたと思うのですが、ラストの唐突なポリジュース薬…。この点は映画の方が良かった。意図的ではなかったにしろ、ムーディに好感を持つ要素を与えなかったのは良かったと思います。
●三大魔法学校対抗試合
今回のメインストーリーでもある三大魔法学校対抗試合ですが、私は試合そのものよりも三校にメリハリがあってとても良かったと思います。原作ではボーバトンもダームストラングも共学だったように記憶していますが(後日読み返して調べてみます)、映画ではボーバトンは女子校、ダームストラングは男子校として描かれていました。大講堂に入ってくるシーンもとても良かった。それぞれがショー的な登場の仕方をしていましたが、あのパフォーミングもとても秀逸だと思いました。各校のイメージ付けが容易に出来たし、ビクトール・クラムやフラー・デラクールの性格とも繋がっていたので良かったと思います。時間との折り合いもあり、ストーリーに絡めてのキャラ付けが難しい中、こういうところでせめてキャラ付けをしようという意気込みは立派だと思いました。小説では難しいアプローチ方法で魅せてくれた点は映画的でとても良かったです。
●ハリー、ロン、ハーマイオニーの関係
今回のロンとハリーの関係は今までで最高の関係だったと思います。どんなに仲の良い親友だって喧嘩の経験くらいあるものです。その喧嘩の原因がまた等身大の男の子らしくて良かったと思います。『ハリー・ポッターと賢者の石』からずっとハリーの影に隠れてしまっていたロンがとうとう爆発するっていうのも時期的にリアルだし、思春期に差し掛かってきたんだなーと微笑ましく感じました。仲直りの場面では、ハーマイオニーが「男の子って・・・!」と呟いていましたけど、あれは最高の台詞でしたね。また本人すら気づいていない、ロンのハーマイオニーへの恋心もくすぐったい感じがしてとても良かったです。それにしても今回のクリスマスパーティのシーンは本当に必見ですね!始終ニヤニヤしっぱなしでしたもん。(どうでもいい事ですが、ロンのドレスローブ、まんざらでもなかったですよねー)ロンのクラムへの感情(嫉妬)はもう少し掘り下げて描いてほしかったですが、漠然としたイライラ感がどこに向けられたものなのか分からない歯がゆさ等、ルパート・グリントは上手に演じていたと思います。また普段はいいとこ取りのハリーがロンとハーマイオニーの間で手持ち無沙汰にしている表情は新鮮味があって良かったです。常々英雄のように取り上げられているハリーですが(実はそうじゃないんですけどね)、困惑した表情なんかはまだ幼さの残る14歳の男の子のそれで、しみじみ出来て良かったです。それからシリーズを重ねるごとに大人びてくる3人であまりの成長の早さに毎回毎回少々キモい…とか思ってしまうんですが、今回は年上のセドリックやクラムとの絡みが多く、体格も性格もまだまだ子どもだなーと実感出来ました。
●おまけ
『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』で観られなかったローブや制服姿、極めつけに縞々のマフラーが復活していたのは非常に嬉しかったですね。
---------------------------------------------------------------------------
次は足りなかった・説明不足に感じた点を挙げてみようと思います。
●展開の早さ
今作の印象はまず、"早い展開"。あまりの展開の早さに思考がついていくのがやっと。こんな急展開で原作を読んでいない人が果たして理解出来るかどうか、非常に不安です。オープニンングの"リドルの館"も駆け足状態。「アバダケダブラ」という呪文の恐怖は原作を読んだ時にはものすごいものがありました。今後(というかすでに)重要であるこの呪文の恐怖心はキチンと冒頭で示すべきだったと思います。それからクィディッチワールドカップ。映像的には先ほども述べたように素晴らしいものがありました。それゆえに試合そのものをカットしてしまったのは辛い。クラムが最強のシーカーだという事も伝わりにくいし、あれだけの高揚感で魅せられた試合前の映像で一気に気持ちが昂るものの、あっという間に「映画館」という現実に戻ってしまう。もうチキショー!ってな感じ。もったいなすぎるよ。そしてまた唐突なデスイーターの出現。あのシーンでのデスイーターは原作でも唐突に現れるのですが、ワールドカップという開放的な雰囲気に飲まれて、過去にデスイーターだった者たちがお祭り騒ぎを起こした、みたいな程度のものだったんです。映画に描かれていない酷い事もやってたんですが。映画では描き方が中途半端な分、見ている方も変に戸惑ってしまいました。とにかく序盤の展開の早さは最早ルール違反と言ってもいいくらいでした。酷すぎ。
●キャラクター
ゲイリー・オールドマンとの契約云々という話になるのかも知れませんが、シリウスの出番が少なすぎ!『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』の時ですら出番が少なくて重要キャラとは思えない扱いを受けていたのに、今作でもこんな扱いではシリウスに対して思い入れの一つも持てない。原作では作者ですら思い入れの強いキャラであるのに、映画での扱いはJ・K・ローリングさんは納得しているんでしょうか。少なくとも私は納得出来ない。今後を考えるとありえない事になりそうです。それにしてもCGとしてしか登場していないシリウスなのにちゃんとクレジットされるんですね、ゲイリー・オールドマン。またリータ・スキーターはもっと悪質で酷い新聞記者なんですけどね、それも時間の都合でカットされちゃってますね。あれぐらいの扱いならむしろルード・バグマン(映画では未登場)同様、存在自体カットしちゃっても構わなかったんじゃないでしょうか?この分だと、『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』でも登場は見込めません。肝心の部分がカットされちゃっているので(気になる方は原作を!←ってこればっか…)。それから前回から言っていますが、どうしてもマイケル・ガンボンのダンブルドアには違和感を覚えます。ハリーが三大魔法学校対抗試合で4人目の選手に選ばれた時、確かにダンブルドアはいつもにはない厳しい表情をしていました。でもダンブルドアの性格的に、ハリーの肩を揺さぶるような荒っぽい事はしません!声を荒げたりもしません!あんなにテキパキと動きません!いつも微笑み、その場にどっしりと落ち着き、ホグワーツで起こっている出来事は全て把握し、何事も包み込む包容力のある偉大な魔法使いなんです!(熱くなりすぎ)マイケル・ガンボンでは、どうしても人望の厚い人柄には見えないんです。リチャード・ハリス氏のダンブルドアが懐かしく思い出されます…。
●心理描写の甘さ
今回の不満のほとんどはここに集結しております。ええ、本当に酷い。リータ・スキーターを削ってでも、三大魔法学校対抗試合の種目を2つに削ってでも、各々の心理描写はきちんと描いてほしかった。そういう部分が削がれているからよく"薄っぺらい"と言われちゃうんですよ。説明不足な点は多々あります。スネイプがデスイーターだった事、ネビルの両親について、シリウスについて・・・これらは少なくとも『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』の原作を読んでさえいればその重要度は分かるはず。『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』の監督にジャン・ピエール・ジュネの名前が挙がっていたものの、早急な回答を迫られて断ったという話は有名だと思いますが、監督を請け負う方はハリーポッター愛読者とまでは言わなくとも、せめて通読した事のある方にお願いするのが当然かと思うのです。ジャン・ピエール・ジュネの描く『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』なんて、とんでもなく魅力的ですよそりゃ。でも本も読んだ事のない人に監督を受けるかどうか、数日で答えを出せなんていう製作者サイドの考えがよく分からん!映画がダークであればそれでいいんですか?そうじゃないでしょ。物語をなぞるだけなら誰にだって出来ますよ。少し話が逸れてしまいましたが、心理描写だけはキッチリ描いてほしい。後にも書きますが、セドリックの死について、原作ではハリーは自分を責めます。セドリックと共に優勝杯を掴んでしまった為にセドリックをトラブルに巻き込んでしまったからです。ハリーはあの時自分一人で優勝杯を掴まなかった事を悔やみ、泣きます。彼の苦悩を思うと胸が潰れる思いがしました。そういう内面的な描写だけは手を抜かずに描いて欲しかったです。スネイプに関しても、ネビルに関してももっときっちり描くべきだったと思います。画面を暗くすればいいってもんじゃない。ダークさというのは内面から出てくる闇のような恐怖心とか猜疑心とか、悲しみからくるものなんじゃないでしょうか。
●「死」
J・K・ローリングさんは「死」に対して非常に真摯です。魔法でもどうにもならない事が一つあって、それは「死者を蘇らせる事」です。そういう状況でのセドリックの死。映画でも丁寧に描いてはあったと思うのですが、どうしても嘘っぽいというか、他人事のような感覚でストーリーが進んでいってしまいます。J・K・ローリングさんがハリーポッターを書く事で伝えたい事のほとんどが映画では伝わっていない気がしてなりません。また、クラウチ氏の死は一体どうなってしまったのでしょうか?彼は死に損じゃないでしょうか?映画の展開ではクラウチ氏は死ぬ必要なかったのでは?結局誰に殺されたかも分からないまま終わってしまったのだし。最早子ども映画と言うには少々キツイ展開になってきましたが、こういう軽々しい死の扱いは避けて欲しかったです。(ヴォルデモートとの対決については後日追記したいと思っています)
●おまけ
ポッタリアン(すでに死語?)が3人もいる我が家の一番の不満は『賢者の石』『秘密の部屋』で使われていたテーマ曲の欠如だったりします。
---------------------------------------------------------------------------
とりあえず2回観て思った事を書いてみました。ハリーポッターは私にとってとても思い入れのある小説です。それが映画化され、あの世界を映像で体験出来るというのはとても嬉しい事です。このままキャスティングも変わる事なく最終章まで行ってくれる事を願います。次回の『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』は小説の方ですら、一度読んだだけでは感情移入しにくい展開になってきています(要はイマイチだった)。映画化は非常に困難かと思われますが、今からまた数年ホグワーツに戻れる日を楽しみに待ちたいと思います。どんな出来であれ、結局あの魔法の世界の虜であるのは変わりないのですから。
----------
05.11.28 記
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (11 人) | [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。