[コメント] ホテル・ルワンダ(2004/伊=英=南アフリカ)
ある集団が異なる集団を迫害する時、そこには「憤怒」や「狂気」よりも大きな原因として「恐怖」があると思う。 虐殺というものが冷酷非情な殺人鬼集団によって起こされる物ならば事態はそんなに絶望的ではない。 絶望的なのは、ある人にとって頼もしい夫であり、優しい妻であり、尊敬すべき親であり、誇るべき子どもであるような人々が、「殺さねば殺される」という強迫観念にとりつかれて残虐な行為を行っている、と言うことだ。
作中においてイギリス人カメラマンが言う。 「外国人はニュースでこの虐殺の映像を見ても「怖いね」というだけだ。そして何事もなかったように夕食を続ける」
その通りだ。 そしてその無力さはこの映画自体についても言える。 この映画は素晴らしい作品だけれども、そう感じたわたしが今も世界のどこかで起きている数多くのこうした悲劇について出来ることなどありはしない。 では『ホテル・ルワンダ』のような映画を作って多くの人に観てもらうのは無意味なことだろうか。
わたしは断じてそうは思わない。
こういう民族間の大虐殺のような事件に現代日本に生きるわたしが出会う可能性はほとんどない。 しかし、自分や家族に危害を加えられる恐怖を取り除くために他者を迫害しよう、という誘惑に駆られる可能性が全くないと言えるだろうか。 そこまでいかなくても、隣人がそのような迫害を加えられて、しかも自分にはそれを救う力があるのに、恐怖から見て見ぬふりをしてしまう可能性は? 誰だって恐怖に身を委ねてしまうほうが楽なのだ。 ポールさんがそのような恐怖に打ち勝って多くの人々を救うことが出来たのは、彼がホテルの支配人として、プロフェッショナルとしての誇りを持っていたからだ。それが彼の抵抗の拠点になった。 だからわたしは普段から今ここにいる自分に誇りを持とうと思う。そして恐怖に負けそうになった時「お前は今後一生自分自身に恥じるような人生を送るのか?」と、問おう。それがわたしの抵抗の拠点になるように。命乞いをする子どもの頭をナタでかち割る人間になるか、1200人の隣人を救う人間になるか、分岐点はきっとそこにある。そしてこの映画が存在する意味も、そこにあるとわたしは信じる。
ルワンダは遠い。だがこの映画はやっぱり世界の裏側に住むわたし個人の為の映画であり、そしてあなたの為の映画でもある。
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