[コメント] お茶漬の味(1952/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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茂吉(佐分利信)は、“鈍感さん”を装っていただけで、実は何もかも知った上で妻の放蕩を許容していた。そんな夫の二面性に対し、妻・妙子(木暮実千代)の夫に関する無理解と拒絶は、一見、一辺倒のようにも見えた。が、本当にそうだったろうか?
節子(津島恵子)のお見合いにおいて、妙子は、節子が逃げ出したことに酷い憤りを見せた。これには伏線がある。妙子の部屋で、妙子と節子が、お見合いに関し話し合うシーン。節子が、お見合いを拒む理由として露骨に挙げたのは、おじさん・おばさん夫婦のようになりたくないからということだった。その場では、節子の言葉を飲み込んだ妙子であったが、後日、やはり彼女にお見合いを強要する。そして、彼女が逃げたことを問い詰め、憤る。逃げたこと自体はもちろんだが、それ以上に、節子のお見合いを拒む理由に腹を立てたと考えるのが妥当だろう。しかし、何故だろう?お見合いから産まれた自身の結婚生活に不満を募らせる妙子であったら、節子の気持ちは理解しても良さそうなものなのに。
ここに妙子のアンビバレントな感情が読みとれる。彼女は、自身では、茂吉との結婚生活が理想だなんて認めたくない。そして、それを自分で口にしたがる。だが、それを他人に言われてしまうと、もう一つの感情が沸々と湧いてきてしまう。彼女は、茂吉と茂吉との結婚生活、理想には遠かれど、実のところ、そんなに悪いものではないと、感覚的には認識しているのだ。それはそうだ。茂吉は良い夫である。ただ、その装いがどうにも野暮ったいだけ。だからこそ、自分で言うのは良くても、人から言われるのは反発を感じる。心根では好いている。ただ、どうにもブルジョアのプライドが先んじて、自分で認めるのが憚られる。それだけのこと。
そんな自分で認めたくないこと、認めてしまえば楽になるのに認められないこと、それをフッと認めることが出来てしまう瞬間
“いいじゃないか、もう、そんなこと。”
と、其処にいたるまでの過程が、一部の隙もなく綴られた映画。
節子の逃走に茂吉を絡ませたことで、妙子の負の感情をピークまで持っていく妙など、いつもながら、小津映画には、淡々としている水面下の激動を感じてやまない。あくまで、個人的にだが。
だが、一点だけ難を挙げるとすれば、この妙子、“お茶漬の味”は涙ながらに解しても、“猫まんまの味”までは認めそうもない。お互いのギャップを認め合った夫婦の話なんだから、別にそれでいいのだが、所詮は苦労知らずの奥様の話じゃねえか、という穿った見方もできなくはない。台所がデートスポットになってしまうのは微笑ましいが、ちゃんと二人で後片付けまでしたのか?
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