[コメント] マリー・アントワネット(2006/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まるでユニクロのCMを数千倍も豪華にしたような絵作りや、宮殿の華麗にして荘厳な雰囲気は見ていてあきないし、何ともまあスゴイ世界もあるもんだなあと、半分あきれ気味になりつつも見とれてしまう。
キルスティン・ダンストは、そういう雰囲気の中で平凡な人間として描かれたマリー・アントワネットにぴったりの感じがする。息をのむほどではないがそれなりの美しさと、上手いんだか下手なんだかよくわからない演技は、意外にというか不思議にというか、自然に見えた。
特に義妹が先に出産した時にショックを受けて部屋に閉じこもって泣いている様は、あまり泣いているようには見えずただ呻いているだけのような感じもするが、庶民にはどうでもよいようなプレッシャーにさらされている人間が、他の人間にはわかりづらい理由で泣いている姿をはたから見れば、案外こういう風に見えるかも知れんなあと思わせるものがあった。
そういう意味では絶妙のキャスティングと、キルスティン・ダンストの女優としての艶やかさが上手くかみ合っているとは思う。
しかしそれが、歴史上の人物としての「マリー・アントワネット」を描く上でどうだったのか、というのは別問題だろう。この映画では、ソフィア・コッポラ監督はかなり意識して平凡な女性として描こうとしたのだろうが、そうなると実にマリー・アントワネットの存在感がない。
王妃ではあったけども平凡な女性、とされたマリー・アントワネットには空疎な遊びしかなかったという結論しかでてこないのではないか。昼間っからあれだけ大勢の人間をかしずかせて遊んでいればそりゃあ浪費女王と言われるのも無理はないなあと思うが、その中身があまりに空疎で、何にも残らない。
だから最後の方で、ベルサイユ宮殿に押し寄せた群衆に向かって2階のテラスから深々と頭を下げてみたところで、一体何をやっているのかがさっぱりわからない。恐怖とおびえから許しと哀れみを乞うているのか、浪費を悔いて謝罪しているのか、自分とは違う生き物と見下している大衆を嘲笑い挑発しからかっているのか、象徴的なシーンだけに色んな解釈が成り立つだろうし、それを意図してかあえて台詞などは一切ないシーンだったが、それまでの平凡な人間として描かれたマリー・アントワネットには、ああいう場面で頭を下げるような理由は見当たらないであろう。
映画全体を通しても、極端なまでに宮中生活に限定した描写でそれ以外の人々はほとんど登場しない、まさに特殊な世界を支えていた、当時の現実のフランス、というのは意図的に外しているのだろうが、そのことによって「統治者」として「マリー・アントワネット」の姿が完全に消えてしまい、それとあわせて、歴史に名を残した一人の人間としての存在感も消えてしまったのではないか。
あえて言えば、この映画を見て「マリー・アントワネット」のことはほとんど印象に残らないが、キルスティン・ダンストという女優の存在ははっきりと印象に残ったのである。
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