[コメント] クローバーフィールド HAKAISHA(2008/米)
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抗いようのない災厄に見舞われた市民の視点は臨場感に溢れていて、恐怖シーンの描写も過不足ない。マリーナが突然血を噴いて死ぬシーンなんて、予想していたにも関わらず「ひぁー」ってなった。もうエラい怖かった。ラストにデートの締めを持ってくるところとかも大変に上手いと思うし、何より作り手が楽しんでいるであろう雰囲気が漂っているのがいい。こちらも存分に楽ませてもらえた。
ただ残念なのはそれだけだったってことだ。「ドキュメント映像風」などの既存のアイデアのパッチワークで作られ、驚くべき落としどころも用意されていない本作には、この映画ならではという“価値”が見えない。だから鑑賞後に心を引っ張られることがなく、「面白かったね」「怖かったね」と言いながら、次の瞬間には夕食のメニューについて考えてしまえる映画になっている。
恐らくこの映画の本来の価値は、「襲い来る怪獣をハンディで見せる」という一点にあったんだろう。それが観たかった人もたくさんいるみたいだ。それはとても素晴らしいことだと思うんだけど、じゃあそれを観たいと思ってはいない僕ら門外漢を、引きずり倒してぶん殴るだけの振り切れ方をしていたかというとそうでもないように思う。そしてその振り切れの代わりに配置されたのが「ドラマ部分の手練手管」なんだ。
カップルの喧嘩別れ、カメラを放さないボンクラ、人々に襲い掛かるビル倒壊の黒煙、彼女のアパートの傾き。どれもこれもが確かな目的を持って折り目正しく並んでいる。喧嘩別れは“ドラマを作るための必然”だし、カメラマンがボンクラであることは“映像を残すための言い訳”だ。黒煙は“9.11を彷彿とさせることによる現実感”で、アパートの傾きは“備え付けられた危機”だ。これは怪獣マニアではない僕らに対するエサであり、もっと言えば商業的な“保険”なんだ。だからこれらの部分が物語内においてちょっと“軽く”感じられる。折り目正しさがドキュメントという枠組みから浮き上がってしまっている。
肝心の本旨が振り切れず、代わりの保険は洗練された小手先の技。そして怪獣の正体は明かされず、人々も追い詰められてただ死んでいくのみ。でそのどれもがオリジナルアイデアでないとすれば、そりゃ心に残るものもないはずだ。考えてみれば情報規制という広告手段もまたオリジナルではないもんな。
才能ある監督が自らの作りたいものを上手くオブラートに包んで“商品”に仕立て上げた本作。その手腕には恐れ入るし、観て良かったとも思えるけど、たぶん10年後には観たことを忘れちゃってる映画になると思う。「怪獣vs米軍の記録フィルム」ってことで90分観せ切る方が、制作側も気持ちよかったろうしこっちの心にも残ったんじゃないかな。
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