[コメント] ランボー 最後の戦場(2008/米=独)
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人間は本質的には人間を殺す生き物だ。そして同時に、人間であるが故に人間を殺さないことを選択してきた生き物だ。言ってしまえば「殺すのも人間」だし「殺さないのも人間」だ。この二つの間には大きな齟齬がありながら、常に並立し続けて現在まで至っている。
今作のランボーはその狭間に根を張り、観客に向けてその齟齬を明確に叩き付ける。生きることが正しく殺すことが誤りならば、生きるために殺すことはどう捉えるべきなのか。ベトナム戦争に始まり、その後も常にアメリカの政治とともに歩んできたランボーは、ここに至って遂にその範疇から飛び出し「人間社会」そのものに足を踏み入れた。まさかここまで来るとは思わなかった長い長い道のりだ。これが上質なところ。
しかしこの問題、本当を言うとあまりフェアな描き方はされていない。何故なら死を恐れずに戦えるのがランボーだけだからだ。もしこれをフェアに描こうとするなら、敵方の将軍は己の正義のために人の命も自分の命も投げ打てる狂信的政治思想の人であるべきだし、ボランティアの人々もいつ死んでも構わないガンジーのような聖人君子であるべきなんだ。それを抜きにして真ん中にいるランボーだけが始めから悟り切ってるというのは、どう考えてもフェアじゃない。これが悪質なところ。
ただじゃあ僕はそういう「ランボー・三大覚悟史上最大の決戦」的映画が観たいのかといえば決してそうじゃない。ランボーが一人最強であることは、この映画が「ランボー」であることの最重要必須条件に決まっているからだ。そして僕が今作に★5を付けたのは正にそこなんだ。
世の中にはいろいろな監督さんがいて、今まで面白可笑しい映画を撮ってきたのに「今作はアカデミーを!」なんつって急に社会派に転向したりする。それはそれでもちろん結構なことなんだけど、少なくともそこまでその監督を支持してきた人の一部は、どこかで置いてけぼりを食らうことになる。ところが今作のスタローンは、ランボーをランボーのまま、微動だにさせないままで、提起する問題の枠組を大きく押し広げてきたんだ。これは心底評価してあげたい。だからこそ僕らは敵方がザックザックと殺されていく景色に「ひゃっほう!」と叫んだにも関わらず、エンドロールの後ろ姿に「人間とは…」なんて思いを抱くことができたんだ。ここにある矛盾は、劇中のランボーが一人で背負ってくれている。有り難いことだ。
アメリカの田舎町に端を発したランボーの生き様は、ベトナムからアフガン、ミャンマーを回ってまたアメリカの田舎町に帰ってきた。それは今作が一作目に一番近い匂いを放っていることと無関係ではなく、しかしながら一作目とはその重みが圧倒的に異なっている。重みという言葉に語弊があるなら、これは普遍性と言ってもいい。大変に面白くて、しかも考え込まされる映画だった。
ただ一点不思議だったのは、ボランティア女性であるサラの貞操だけは頑に守られ続けたこと。拉致されて数日経とうというのに「私たちをどうするつもり!?」なんて叫んでいるのは明らかにそういうことだし、敵の将軍が御小姓好きなのもその裏付けだ。正直この二つのシーンを観たとき「あ、逃げた」と思った。子どもの惨殺シーンは描きながら主要女性キャストの貞操は守る。社会派とエンターテインメントの狭間の落とし穴がちょっと見え隠れする危ない線だと思う。
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