[コメント] クライマーズ・ハイ(2008/日)
過去に、数度全国クラスの檜舞台にたったことはあるが、その後はさっぱり機会にめぐまれない一地方の小新聞社。連綿と続く平穏な日々。ルーティン化した雑記事のなか、ジャーナリストとしての志と使命感を、ときおり過去の栄光とともに掘り起こしては、自嘲を含んだ伝説として語りつぐ。それは、過去を知る者にとっても、知らぬ者にとっても、すでに亡霊でしかない。亡霊にとり憑かれた地方エリート集団。おそらく北関東新聞社とは、そんな人々の職場だったのだろう。世の中には、常に先頭を走り脚光を浴びる集団より彼らのような集団の方が多い。
その停滞集団が、目前の大事故により一気に覚醒していくさまが描かれる。覚醒とは、呪縛からの解放であり、たとえそこに対立や障害があったとしても、いやむしろ乗り越えるべき困難があるからこそ当事者たちも、観客である私たちにとっても心地よいものなのだ。堤真一、堺雅人、尾野真千子、遠藤憲一ら新聞社すべての面々の、覚醒とそれにともなう混乱が生み出す興奮状態は、観客をもクラーマーズ・ハイへと導いてくれる熱演であった。
一方、主人公結城(堤真一)の新聞社社員としての社長(山崎努)との確執や、それに連なる母親との映画鑑賞の思い出、さらに結城の職業人と生活者としての生き様を暗示するはずの登山を通した息子との覚醒物語が、メインストーリの肉付けとして機能していないのが残念だ。聞くところによると、かなり原作に忠実に作られているそうだ。おそらく、それが原因であり原田眞人監督に責任はないのかもしれない。あきることなく2時間たっぷり楽しめたので、もっと高得点にしてもよいのだが、やはり映画には映画としての物語の構築方法があり、それにチャレンジすることが映画本来の面白さだと思う。
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