[コメント] エグザイル 絆(2006/香港)
ジョニー・トーの西部劇。ごく大雑把に云って、これはペキンパーからマカロニを経由して香港で畸形的な発達を果たした銃撃演出の究極だろう。だから、この道に未来はない。この種の志向でこれ以上の銃撃戦を創出することはおそらくできない。ひとつの終わり。ジョニー・トーがひとつの歴史を終わらせたのだ。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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全肯定できる映画ではない。感傷的な物語/人間関係や銃撃戦の設計はもちろん、「空き缶」や「写真」といった小道具の使い方、光の操作や「硝煙」による画面造型、「荒野」などのロケーションに至るまで、どれも実に映画的ですばらしい。しかしこれでは「決めすぎ」あるいは「決まりすぎ」ている。云い換えれば、少年趣味に過ぎる。浪漫過剰だ。キャラクタが多分に子供っぽいという以上の意味で、これは大人の映画ではない。しかし、だからアンソニー・ウォンに向かって躊躇いなく銃を撃ってみせるジョシー・ホー――ニック・チョンの妻であり、この映画でただ一人の大人が、感動的だ。
あるいはこういう云い方もできるだろう。銃撃演出という瑣末な(と敢えて云うが)部分にとどまらず、この映画を支配しているのはサム・ペキンパーだ。ペキンパー的情緒の世界の極限(的抽象化)がこの映画だ。私自身そういう世界は大好きだし、また様々な映画があってしかるべきなのだが、しかし、それでもやはりこの道に先はないと思わざるをえない。それほどに『エグザイル/絆』は「究極」であり「極限」だ。
私はいま、ペキンパー的情緒ではなく、ドン・シーゲル的明晰の現代映画こそを見たい。
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