[コメント] シャッターアイランド(2010/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
個人的には、堤幸彦の『サイレン』を思い出しました。本当にあれを見て撮ったんじゃないかというぐらい。あるいは、あっちがこれの原作の影響下にあるのか。よくわかりませんが、とにかく、ネタや構造に関しては、「遅い…いまさら遅いよ、スコセッシ…」と思ったというのが正直なところです。
ただ、それはそれとして、この期におよんでこういうジャンルに挑戦してしまうスコセッシという監督は、つくづく老いないというか、巨匠病と無縁というか。
いや、考えようによってはデビュー当時から巨匠病だったみたいなところがあって、見ようによってはかったるい映画ばかり撮り続けてきた人なんですが、面白いのはこんなに色んなジャンルに手を出しても、テーマはつねに「人間の暴力」ということで一貫している、かつ、それについて生真面目に懊悩しているというのが、私がこの人を信頼するゆえんです。
はっきり言って、こんなネタはフラッシュインサートで逃げとけばいい。観客だってしんどいよ! ……でも、逃げないんだな、これが(ニヤリ)。
それにしても、今度のは、本当にどんづまりの暴力であり、人生ですね。目を逸らしたくなる。でも、やっぱり、これは、戦争のような巨大な暴力以上に、我々のそばに潜在していて、自分だっていつその当事者になってしまうかわからない――
それと向き合わずにはいられない一種の変質さがこの人の本質だと思うのですが、でも、一方でエンタメの輪郭は保とうという最低限の理性は不思議と持っているようで、ときどきこういう微妙な味わいの映画を生んでしまうのですが、この映画であれ、『救命士』のような作品であれ、私にとっては取るに足らない作品なんて一本もないです。
≪以下追記≫
ラストの解釈ですが、まあ、そんな難しいもんじゃないんで、クドクド書いたら興醒めかも知れないんですが……
回想シーンを得て、アンドリューは完全に覚醒するんですが、ラスト・シーンではまたテディにもどってしまったかのようにシーハン医師をチャックと呼んで、話をします。しかし、その顔からは奔走していたあいだのような鬼気が消えうせ、むしろ、何かを悟ったような穏やかさをたたえていました。そして、彼は、あの台詞を吐き、コーリー医師らに連れられ、灯台に向かいます。やはり、彼はテディにもどってしまったのか? 治らなかったのか?
ちがいます――彼は治った、しかし、治りながら、いや、治って正気を取り戻したがゆえに、「テディをよそおうことによって、自らを壊す」という決断をしたんです。
ここで、この映画は、長年ハリウッドが精神病院ものにおいて拘泥してきたロボトミーや非人道的な病院のあり方に対するアンチテーゼというテーマから脱し、ひとつ向こうのレイヤーに行った気がします。
でも、それは「本当に重要なのは、精神病院のあり方うんぬんを問ういじょうに、取り返しがつかなくなった彼らの人生の取り返しがつかなくなった部分を見つめることなんだ」という静かな、そして、しごく当たり前の主張でありました。
みずからテディ(妄想)をよそおったアンドリューが去る際に、現実に立ち続けてきたはずのシーハン医師が、彼に対して(アンドリューではなく)テディと思わず呼びかけてしまったのが、何とも言えない余韻として響きました。
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