[コメント] マチェーテ(2010/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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「越境」「放浪」をラテンの大見得に乗せるという命題を持つ(らしい)ロドリゲスが「不法移民」とその「排除」のせめぎ合いの中にカタルシス を見いだしているので、こいつは意外にマジでまっすぐだな、といたく感動した。
例えば彼が好むバンデラス的なすっきりラテンのビジュアルでは 映画好きセレブのお遊びになってしまう。トレホも無名ということではなく、ロドリゲス組の常連という意味ではメジャーではあるが、ロドリゲスに馴染みのない層に対しては「無名」の強みがあり、怪異で荒々しい野性的風貌(彼は「歯ぎしり」が素晴らしい)には匿名的な大衆の怒りを乗せやすい。
もともと「素朴」な作劇とストレス発散バイオレンスの中に、無名の大衆の社会的怒りやら性的抑圧への反作用がそこはかとなく読み取れるような、原始的かつ意外に社会派の深読み可能な面白みが「グラインドハウス」なのではないか、と勝手に想像するのだ が、この感覚を最低限(この匙加減がミソ)「巧い」と思わせるルールに乗せ、トレホというマイナーかつ絶妙なキャスティングと「マチェット」のにぶい輝きと重量感で具現化したセンスは、天然なのか意図したものかはわからないが、グラインドハウスの再解釈と再提示という意味では『プラネット・テラー』より的確だと思う。
ここには『プラネット・テラー』に見られたタランティーノの侵犯行為もなく、純正のロドリゲスとしては、ここに来てついに純粋に「面白い」「カッチョいい」と感じた。省略技法や笑いも理が勝り、多少のアラも「グラインドハウス」という冠が免罪符になって許せてしまう。
終盤までは・・・
ロドリゲスは「瞬発力」はあるが決定的に「持久力」が足りない。乱闘騒ぎのカタルシスは全て、「キャラ」の登場シーンをカットでつなぐことだけに頼り切っている。しかもそれぞれが有機的につながりあっておらず、カメラワークの無意味なせわしなさも手伝って、見せたいものの焦点がぼやけ、トレホが軸のはずの天誅アクションのカタルシスが完全に空中分解している。動的なアクションが死んでおり、マンガのコマ割をただうつすという悪癖に落ちてしまっているのだ。
だから、「ダイジェスト」である「予告編」がたいへん面白かったというのは、ロドリゲスが「瞬発力」の監督であり、逆に言えば1時間以上の作劇に耐える「持久力」の欠如を証明してしまったように思えるのだ。
キャラ立ちに頼り我を忘れた結果、トム・サヴィーニがいつの間にか姿を消したのには唖然・・・
主要俳優の多くが「面が割れている」ことも残念な点。トレホを含め、一見マイナーな顔ぶれもよく見りゃよく知ってるのだが、オールキャスト新 人で「何?何?あの凄いの、誰?」という驚きを提示するくらいの気概が欲しかった。何しろグラインドハウスの延長戦なんだからさ・・・デ・ニー ロやらセガールが頑張ってくれちゃうと逆に寂しいわけです。
・・・それにしてもロドちゃんは処刑シスターだの処刑プリーストみたいのがお好きですね。確かに『フロム・ダスク・ティル・ドーン』のハーヴェイ・カイテルも本作のチーチ・マリンもイケてましたが。リンジーはちょっと違う。私の中のリンジーは『今宵フィッツジェラルド劇場で』が最高。
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