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[コメント] 仁義なき戦い 代理戦争(1973/日)

このあたりまでくるとほんとに「仁義がない」。まさにマキャベリズム。平和でさえ外交の目的ではなく一手段でしかない。広能(文太)の欲の無さが罪悪に見えてくる。
G31

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







執拗なまでに原爆ドームを映し出すラストが印象的だった。1のレビューで、ピカ(原爆)の描写は(戦後日本の荒廃を生んだ)本当の敵がアメリカであることの象徴ではないか、と書いたが、むしろアメリカ人とか日本人とかいった表層的なレベルを超えた、人間の愚行の象徴として、取り上げられているように感じた。

ヤクザ世界といっても、ほとんどの男は(別に女性に含む所があるわけじゃないが)"女の腐ったような"男である。"男の中の男"と呼べる男は、ほんの一握りしかいない。そんな数少ない本物の男と男が、肚を割って話し合えば、あらゆる些事を乗り越えて、真に実りのある話ができそうなものだ。だが、そうはならない。それは、それぞれに立場や都合があるのだろうが、それ以上に、否、まさにそうであるがゆえに、人間の愚かさの現れに他ならない。

初めのうち、新・山守組の重要幹部として、頻繁に顔を付き合わせていた武田(旭)と広能(文太)だが、最後は一本の電話線を介して話をするようになっていた。米ソ冷戦時代、両国首脳間を結ぶ"ホットライン"は、平和の為の切り札的存在であったが、むしろここでは、距離を置きやがて対立し離れ離れになっていく二人の、最後の頼みの綱みたいな存在であった。これが切れてしまえば二人は完全に決裂だ。次作(頂上作戦)まで観たわれわれは知っているのだが、もう一回、二人が電話で話すシーンがある。そしてその後、二人がようやく顔を突き合わすのは、寒風吹きすさぶ拘置所の廊下でである。「間尺に合わないことをした」そんな感慨は、実際に戦いの中に身を置き、そこを生き抜いてきた者でないと分かりえない境地ではあろう。だが、少しでもそんな感覚を追体験させてくれることが、広島の極道戦争を活き活きと再現したこのシリーズ映画を観る事による、一つのメリットであるように思った。

80/100(02/12/15記)

(評価:★4)

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