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[コメント] マッドマックス 怒りのデス・ロード(2015/豪)

美しく崇高な映画。(レビューはラストシーンをはじめとして語りまくりネタバレ宝庫。ご注意を)
月魚

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







登場人物は誰一人として回想も逡巡も後悔もしない。瞬時に合理的な判断をして正しく行動する。そこがとても心地良い。言わば「生き残りのプロ」たちが淡々と仕事をこなしていくのを見られる快感。

例えば的をはずしたマックスがライフルをフュリオサに渡して肩を貸し、彼女が一発で仕留める場面。そこに男の面子は存在しない。生き残るためにそんなものは邪魔なだけ。

誰も彼も、力の弱い子産み女たちでさえ自分が今なすべきことをきちんと理解し、それに全力で取り組む。ああ、こういう世界ならどんなに楽しいことか。

そして誰も誰かに意地悪をしようとしない、つまり悪役がいないのも素晴らしい。イモータン・ジョーも単に自らの宝物を取り返すためだけに行動している。

という基本線の上に、例えば子産み女たちの部屋の扉が開くといきなりグランドピアノが現れたり、例えば子産み女の世話係の老女(ジョーの妻?)をジョーが最後まで生かしておいたり、例えばマックスがウォータンクに乗りこんだときに銃を革のボストンバッグに集めるのだけどそれがいつの間にか忘れられて良く似た少し小ぶりの種が詰まった革のボストンバッグに焦点が移っていったり、例えばバイクおばばの一群だけが色を持っていたり、例えば、例えば・・・。

つまり言葉で語らなくても映画なのだから映像で語り、そしてそれがきちんと伝わるというある意味観客への信頼に裏打ちされた、そこも素晴らしいのです。

あと編集も、冒頭マックスが逃げ損ねた次のシーンが焼き印のアップから始まって、でもそれはフュリオサの後ろ姿だったり、緑の地が失われたことを知って絶望するフュリオサのシーンでカットが変わっても常にフュリオサの画面上の位置が変わらなかったり、終盤の追跡シーンで一瞬の間の後にシンメトリックに表現された棒男のシーンに展開したり、ものすごく気持ちの行き届いた快感増幅装置になっています。

もちろん「なんでボルトカッターがあるのにフュリオサはマックスにやすりを渡したのか?」(たぶん映像的におもしろいから)とか「ラストシーンでマックスはいつの間にリフトから降りたのか?」(そんなこたあ、あの素晴らしいラストシーンのためには些細なことじゃないか)とか、突っ込みどころもあるのですが、ほんとにそんなこたあどうでもいいのですよ。

ただし日本版エンドタイトルは最悪。分厚い音楽の洪水に身を任せて映画の余韻に浸るべき時間を甲高い人声に台無しにされてしまう。楽曲に罪はないかもしれないけれど中低音がすかすかのミックスはこの映画のラストに全くそぐわない。この企画を通すのに関わった全ての関係者にヴァルハラの門は開かないであろう。

V8!V8!V8!

<2015.7.16追記> 映画館で5回観て、何度見ても嬉しいシーンがたくさんあるんですが、中でもマックスご一行様が戻ってくるのを見つける谷のみなさんがご飯の支度中だったところが大好き。ホッコリする。

<2015.7.18さらに追記> ああだめだ!語り足りない!というわけでもう少し追記。

(その1)武器将軍がフュリオサに目を潰されて、でも瞬時に追跡に移るところ。凡百の映画なら「うぁぁぁ目が目が〜」とかやるわけですよ。でもこの映画はやらない。無駄な見栄も切らないし、無駄なタメもない。そこに震えるのです。 他にもそんなシーンはたくさんあって(というかすべてそういうシーンで)、例えば沼地にはまったウォータンクが動き出して、その手前にフュリオサがいて、ウォータンクが動くと向こう側にマックスがいる。ここで二人は「あれ?」と思って駆け出すんですが、ここでも「なんだ?」とか「誰が運転してるんだ?」とか言わない。まず走る。 スプレンディッドがウォータンクから落ちた後、フュリオサがマックスに「見たの?」と聞いてマックスが「彼女は轢かれた」と答え、さらにフュリオサが「見たの?」と聞いてマックスが「彼女は轢かれた」と同じ答えを返すシーン。「イエス」と答えない、つまり嘘かもしれない。でも今は前に進むことが合理的と判断して前に進む。 斯様にすべての登場人物が、今の気持ちを優先するのではなく、次の一瞬のために生きている世界、無駄がない世界。

聞けばこの映画は脚本の前にストーリーボードを作った由。それが映像だけを信じて語り尽くすことができた理由かもしれません。

(その2)基本、説明セリフがない本作ですけど、唯一の例外がフュリオサがウォータンクの中で、なぜ自分がそして子産み女が逃げ出したかを語る場面。しんみりした音楽が流れる中、ケイパブル(赤毛妻)の肩に止まった虫をニュークスが自分の指に移してしばらく眺めた後、パクってやっちゃうんですが、私が凄いと思うのは、そのまましんみりした音楽が流れ続けるところなのです。そしてそんなシーンを見せられてもしんみりしたままでいられる不思議!

(その3)でも何気ないセリフから読み取れることもたくさんあって、例えば沼地の木をさしてニュークスが「あの盛り上がり」と言うんです。つまり彼は木を見たことがない。それを瞬時に受けてケイパブルが「木のことよ!」と叫ぶ。つまり彼女は木を知っている(それは学習したのか、さらわれる前に見たことがあるのかはわからないけど)。そして彼女はウォーボーイズが木を見たことがないこともたぶんわかっている。

(その4)そして展開自体にこめられた寓意も素晴らしいのです。例えば、

ウォータンクの後席で弾込めをするトースト(短髪妻)の横でダグ(金髪すきっ歯妻)が「弾は死の種よ」とつぶやく。

     ↓

砂漠の夜のシーンで種を持つバイクおばばが「わなにかかった奴はみんな殺す」と言ったのに対してダグが「でも殺すのは生きるためでしょ?(英語では「Thought somehow you girls were above all that.:あなたち女の子はそんなひどいことしないと思ってた)」と言う。

     ↓

後ろめたそうな顔をするバイクおばば

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西の砦に向かう最後の戦闘が始まりそうになると心から嬉しそうな顔をするバイクおばば

     ↓

最後に種を引き継ぐダグ

つまりですね、北斗の拳の流れでついこの映画も「ヒャッハー!」と表現しちゃう人がいるけど、本作に快楽要素は全くなくて、登場人物は誰もがストイックに生きているのですが、その中で唯一殺しに快楽を覚えているのがこの種を持つバイクおばば。でも彼女が持つ「生の種」は「生きるため以外に殺すことはよろしくない」と思っているダグに引き継がれるのです。素晴らしい展開ではありませんか!

(その5)女だけのバイクおばばと(たぶん)男だけの谷のみなさんはどちらもバイク部族なのですがカラースキームが似ているのが気になるところ。何かの交流があるのか、もとは同じ部族だったんだけど男女で分かれることにしたのか、それとも収斂進化によって似たような姿になったのか。まあ見えないサイドストリーを作り込んでいるんでしょうけど、そういう想像をかきたてられるところも「語りすぎない」映画の素晴らしさですよ。

(その6)ウォーボーイズのみなさんの体幹の強さ!(特にスリットとエース:最初にウォータンクに乗ってフュリオサに「ボス?」と問いかける人)

(評価:★5)

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