[コメント] ヘイトフル・エイト(2015/米)
負のエネルギーが織りなす極上のエンターテインメント。起爆剤は、リンカーンの友人になれなかった輩ども、すなわち「正義」と「制度」の意味や秩序が理解できない者たちの、強欲と打算、偏見と侮蔑、差別と憎悪だ。
しばし、理性という面倒から解放される快感。
『イングロリアス・バスターズ』 (2009)は、ある種の諦めに満ちた、どうにも気の重い映画だった。諦めとは正義(=正解)への無邪気な思いとの決別であり、それは図らずも「今の時代」のジレンマの本質を捉えていた。
次にタランティーノは『ジャンゴ 繋がれざる者』(2012)で、「今の時代」を挑発するかのように、「悪しき文化」の具現である暴力によって、より巨大な「悪しき文化」としての制度の駆逐を試みた。
「正義」と「制度」が消去されたフィールドで、タランティーノは負のエネルギーのみを使って「何か」を再構築しようとしているのだろうか。この「ヘイトフル・エイト」にちりばめられた、強欲と打算、偏見と侮蔑、差別と憎悪が織りなす心地よさのその先を、もっと観てみたいという危険な誘惑。
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