[コメント] 火垂るの墓(1988/日)
作品全体に「作品」として許される以上の作意を感じる。『MARCO・母をたずねて三千里』に出てくるおじさんの「バケツに一杯泣かせるんだ」という台詞(TV版だけか?)が聞えてくるようでした。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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随所に作意を感じるが、特に「同時代の同じ境遇の子供達」が全く片鱗さえ描かれていないのはどういうことだ? 終戦直前直後のあの時代、日本中に戦災孤児は溢れ返っていたのにだ。
そして、それらの孤児の多くは、泥水をすするような辛酸に耐え忍びつつ「生きて」いた。そういった姿が、この作品中で同時に描かれていたら、果してどのような感想が返ってきたか非常に興味深い。
しかし、作品中で為されている描写は、兄妹の住んでいる「穴」と「別荘」に佇む娘達を同時に描いて、殊更に「落差」を強調して見せているようなもので、兄妹が如何に「幸運」な環境にあったかという描写は片鱗さえない。戦争で両親を失ったのは不遇であったろう。しかし、庇護を受けれる親戚の家があったというのは「幸運」と言わずしてなんと言う?
そして、そのような「幸運」に恵まれなかった孤児達は、当時日本中にあふれ返っていた。そして彼らの多くがその境遇を跳ね返し、戦後日本の礎を築いた。
違う時代を描いた作品を鑑賞するのは、ある意味難しいと思う。今自分たちが持っている物差しで解釈して良いものかどうか、往々にして迷わされる。ましてや、作品を創る側に於いては尚更であろう。
この作品には、その様な悩みや葛藤を感じ得ない。単純な、そして余り程度が良いとはいえない「作意」を感じるだけだ。
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