[コメント] 青春の蹉跌(1974/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
蹉跌:失敗や手違いの為、物事がうまく進展しなくなること。
大人の社会の入り口に立って、というよりも青春期の終わりを自覚して(それに気がつき慄然として)声にもならぬ煩悶を体の内に抱く青年、萩原健一。グラマーで舌っ足らずでエロの固まりみたいな、行き場をなくした女子大生、桃井かおり。清楚なお嬢さま、けれどそのじつ強かにモノを見抜いてそうな、檀ふみ(「なんだ、泳げるじゃねぇか」)。妻子を抱え、田舎に帰郷するしかなかった挫折したかつての学生闘士、森本レオ(この人物が大人になったような先生が高校の時にいた)。
これという劇的なドラマを物語るわけではない。だがそれでもこの映画が説得力を失わないのは、演じた若い彼らの顔や体がそこにしっかりと(無為な運動と絡み合いの中であっても)息衝いているからだ(*)。楽曲やSEが巧みに組み合わされる。ラスト、映画の中での出来事がふっとフラッシュバックする。
「百円ちょうだぁい」姉ちゃんの肢体の異様な力の抜け方が妙に凄い。ヨットの上でナイフを使って「現実というもの」を説教する叔父貴には、悔しいが完敗(如何にも長谷川氏の筆)。
*)下手なドラマや映画の中では、男と女が「抱く」「抱いて」なぞとよく言い合う。そんなセリフを聞くたびに英語の"make love"なる言葉と同質の薄っぺらさを感じずにはいられなかったが、この映画のカラミには、そんな「抱く」「抱いて」という言葉に真情を込める寂しさと温もりが宿っていた。
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