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[コメント] 散り行く花(1919/米)

私的見解を2題ほど(エラく長くてスミマセン)。
くたー

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 <このメロドラマの性質について>

壮絶な虐待劇である。あまりに残酷な父親の仕打ち、もはや抵抗する気力も失せしおれ果てた娘の姿。このあまりに理不尽な構図から、おそらく大抵の人は怒りを覚え、何かしらの解決の手立てを考えながら見守ると思う。そんなところから、この映画は貧困が生む虐待という、具体的な問題提起を含むドラマのようにも思える。しかしそうだろうか?その枠に当てはめようとする際、明らかに不必要と思われる要素が、ひとつだけある。

さびれたスラム街を舞台としながらも、靄のように全篇を覆う東洋的趣味。一体何の意味をもって、そこまで東洋の雰囲気に拘った作りになっているのか。そこにこのメロドラマの本当の秘密が隠されているように思える。個人的な見解としては、東洋の「無常」が底流に流れているのでは、と思う。

憎しみによって繰り返される争いの歴史。憎しみに押しつぶされる生の儚さ。憎しみからは何も生まれない、そのことを時に人は忘れ、愚かな行為に走り出す。あんなに正義漢に満ち溢れた純粋な青年が、最後には死を選んだことは、後追いということ以上に、上記のことを考えた上での結末だったようにも思える。あの鐘の音は、死んでいった者たちへの弔いのようでいながら、その先も繰り返される争いの歴史を余韻で伝えているようでもある。あくまで東洋的な鐘の音。

歴史は繰り返されるという意味では、作品や背景の規模の違いは大きいながらも、この監督の『イントレランス』の系譜に位置する映画にも思える。しかしそんな世界を描きながらも、何故に『国民の創生』のような映画を撮ったのかは、未だもって謎。そのあたりにこの監督の限界を感じてしまったりもするのだが・・・。

 <この映画の、一種の表現の過剰さみたいなものについて>

怒り、憎しみ、残虐行為、儚い美・・・。とにかくあまりに描写がストレートで常軌を逸している。そんな疑問に思い当たったとき、まずはこの映画がサイレントであることを、念頭に置いた方がいいかと思う。

サイレント映画の性質として、明確なコントラストというものがあるように思える(映像に限ったことではなく)。映画的な表現を駆使しているとはいえ、何せ音の不自由もあるし、撮影技術も今に比べてはるかに狭い限界がある。しかし何とかして観客に物語を伝えなければならない。心の微妙な動きなどを始めとした、複雑な要素をできるだけ取り除く。おそらくそんなことも考慮のうちに入っていたのでは。

しかしシンプルになってしまうと何かもの足りない。そんな場合、表現や描写をデフォルメして、ある種の強度を作品に与えるというのが、解決のひとつとしてあったと思う。最も端的なのは、オーバーアクションな演技。カメラの性能の問題を始めとして、様々な要因があっての解決策だと思う。

そんな表現の工夫は、サイレント独自の様式として、あらかじめ考慮に入れて鑑賞した方が良いのではないかと思う。おそらくこの映画の世界を、そのまま今の技術で撮ることは、無謀以外のなにものでもない。

ともあれかなりシンプルになったとはいえ、父親の獣性、娘の儚い美しさ、中国の青年の純粋な正義、そして底流に流れる東洋的な世界観。これらのコントラストがとても効果的かつ鮮烈で、シンプルな構図ゆえに純度の高いメロドラマに仕上がっていると思う。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (7 人)煽尼采 ジェリー[*] ぽんしゅう[*] なつめ[*] muffler&silencer[消音装置][*] 24[*] tredair[*]

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