[コメント] 惑星ソラリス(1972/露)
亡霊との対話、だがそれは対話なのだろうか。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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私が存在するというそのことが、他者を否応無く私の世界の登場人物として取り込んでしまう。それは、他者を私の世界に取り込んで他人として措定してしまうエゴに他ならない。私が私として存在する限り、他人を他人ならざる本当の在り方で、他者として尊重することはできない。私にできるのは、他人を私の宇宙の登場人物として愛することだけ。それが私が存在することの罰、それを為すことがせめてもの良心、ということだろうか。
映像の彼方からこちらを見やる亡き妻。だが彼女はもう死んでいる。その顔や体はあまりにも具体的に今傍らに存在している(*)のに、本当の彼女はもう存在しない。惨酷だ(ナタリヤ・ボンダルチュクは、哀しくなるような美しい顔をしている)。
*)妻ハリーのコピー、それは言ってみれば男の追憶から生み出された亡霊なのだが、全くの亡霊とも切り捨てられないように思える。何故なら彼女はみずからの存在を疑い、苦しみ、涙し、自殺までしようとするからだ。彼女はまさしく人間の、人の間に存在するものとしての苦悩を負っているように思える。彼女もまた、単なる亡霊ではない、独自に存在するものなのかもしれないのだ。監督は、むしろ彼女の(追憶の)存在を無下に切り捨てるような世界把握をこそ、独善的なものとして批判的に観ているのかもしれない。
追憶の海に待ち受けているのは、何故かまだ生きているはずの父親。何故に父親なのだろう。
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