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[コメント] カイロの紫のバラ(1985/米)

吐き気がするくらい無性に腹が立つ。許し難いモノを感じる。久々に怒髪天。
ボイス母

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







たかが映画にココまで不快な気持ちにさせられるのは久しぶりだ。 以下、その感じた理由を自分なりに列挙。

●「ボクって軽妙で趣味人でしょ?」という劇中映画の作り方が鼻につく。 「映画の基本が分かっているんだよねー。都会派のライト・ラブコメってこんな作り方でこんなカンジ♪」と作り手の得意満面のヒクヒク笑顔が伺える。

●可哀想な女を苛めて喜ぶダケの物語に興味がない。と、言うか生理的嫌悪感を感じる。 この物語が何を訴えたいのか、ワシには最後まで理解できなかった。ただ、サディスティックなまでに、可哀想な身の上の(ちょっとオバカさんでしかも頭がアレな)女を苛めて見せ、しかもその影では監督自身が「女って結構どんな夢見がちな少女みたいな女でも、現実的で残酷な生き物だよな」と切り捨てて見せる(映画から抜け出してきた男の求愛を最終的には拒むことでソレを表現しているようにワシは感じた)

この「女性に対する相反した見方」にはとまどいを感じる。 ソレは多分、監督自身が「女性というモノ」を「理解不能で自分とは永遠に分かり合えない生き物」だと思っているせいなのではないか?

「こんなに純真でけなげで、夢見ることを忘れない、守ってやりたくなる永遠の少女」という姿と、「でも現実的で残酷。夢見る体質であってもギリギリで男を平気で裏切る女」という姿。 作り手の中には「この二つの女性像」しかナイのだろうか?

●この映画からは「映画への愛=妄想に生きろ」というメッセージしか感じられない。ソレはワシの(映画への)スタンスとは「絶対に相容れないモノ」であるからだ。

映画への愛。ソレは映画を愛し、自分の現実を精一杯生きることではないのか?

映画はドラッグでは無いはずだ。

(評価:★1)

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