[コメント] ペイ・フォワード 可能の王国(2000/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
ケヴィン・スペイシーとヘレン・ハント、そしてハーレイ・ジョエル・オスメントというキャスティングは、見るものを引き込む、実に素晴らしい演技の競演でした。見ている間は、すっかり物語にのめり込んでしまいました。
でも、ラストでがっかりして気分が醒め、冷静に思い返すと、物語の重要な部分が極めて利己的で、安易で、無配慮で、危険なお話だと感じました。
「ペイ・フォワード」という考え方自体は、例えばチェーン・メールのようなものですが、チェーンメールは善意であれ、悪意であれ、受け取った者やネットの世界に迷惑を与えるものです。そのこと自体も極めて危険な行為であると考えます。
あくまでも映画ですから、人間の善意の心を信じる観念的、啓発的なお話と見るべきなのでしょうが、映画のなかの善行自体も、(わざとなのか)危険をはらんだ行為ばかりを取り上げています。
「子どもが路上生活者にお金を上げて立ち直らせる」とか「先生と自分の母親の仲を取り持つ」とか「順番を譲るためとはいえ病院で拳銃をぶっ放す」とか「強盗して逃げる犯人をかくまう」とか‥‥これらは世界に広げるべき良い行いなのでしょうか?
「新聞記者にジャガーをあげること」だって、果たして相手のことをちゃんと考えた良い行為なのでしょうか。いったいどんな世界に変えたいのでしょうか?
そして、何よりもひどいのが、ラストの必然性のかけらもない突然の悲劇です。ミミ・レダーはここで何がしたかったのか。‥‥単に泣かせるがために、エンディングを盛り上げようとしたのか。あるいは、「ペイ・フォワード」が極めて危険な行為であると忠告するために「釘をさそう」としたのか?人間は良い面ばかりじゃないからバランスをとろうとしたのか?監督の意図を図りかねます。
私には、この映画が目指す世界、主張がわかりません。
物語を劇的にしようとしすぎて、本質的なところをダメにしてしまっていないでしょうか。話を面白くしようとして本当の目指す世界を見失ってはいないでしょうか。あるいは、それらを超えて、「世界を変える」「良い行い」というたてまえから引き出されてしまうもっと奥深い人間の危ない本質を描こうとしたのでしょうか?
少なくとも、子どもには見せられない映画です。
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