[コメント] マルサの女(1987/日)
憑き物が落ちたような安堵感、もしくは呆けたような虚脱感を漂わせる山崎努の背中に「呪い」としての「欲」の本質を見る。祓えぬままに膨らむ呪いと深化する手口のデフレスパイラル。憑かれていても苦しいが、「呪い」なしにも生きられない業を茶化しながらも突き放さない主題曲やブラックユーモアの温度感がいい。演出が多少安いのは気にならない。何よりこのにぎやかないかがわしさだ。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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ラストの血文字は、最後の「欲」を絞り出すかのようで印象的だ。人を突き動かす赤。欲は逃れられない呪いであり文字通り血肉でもあるということ。文字通りの血肉を失ったラストの山崎努の輪郭は一回り小さくなったような、老けたような気だるさを漂わせる(やっぱり巧いですよね)。当然ながら「欲」が人を魅力的に彩ることもあるということ。
渋いワルだがよく眺めれば子どものようなおじさまが普通のおかみさんになびく理由は明白で、要はマザコンだからだ。宮本信子が次々に脱税の手口を暴くリズムは子どもの散らかしたオモチャを次々片付けるさまを連想させる。呪いを祓われ血肉を失う男は、新しい血肉を与えてくれる母に回帰する。冒頭のじいさんのシークエンスからしてマザコンの映画であることは明白で、伊丹映画ってそういやマザコン要素がかなり強いなあ、と再確認させられる。
ところで、民放で伊丹映画をめっきりオンエアしなくなりましたね。所謂メジャーシーンで賑やかないかがわしさを発散し続けた伊丹映画はやっぱり日本映画のよき財産だと思うので、寂寥感をおぼえます。僕が子どもの頃はよく親と背徳感をもてあそびながらみていました。まあ今思うとうちの親はおおらかでしたが、今の子どもって後にこういう郷愁を抱くような映画経験ってしてるんでしょうか。
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