[コメント] ハッシュ!(2001/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
どれだけ感動したか垂れ流させてもらいます。
冒頭から橋口監督の世界に惹かれた。相変わらずリアルな人物描写を壊す事無くメッセージを伝え、その中にも観客を喜ばすシーンをたくさん取り入れた監督は柔らかい感性の他に職人としての技術さえ手に入れた。あざとく観客に擦り寄る映画とは違う。映画監督として円熟したとさえ思える。この映画はそんな演出に支えられた多くの説得力ある素敵なシーンによって彩られ橋口ワールドに浸かる事が出来る。私にとって登場人物に感情移入しなくてはいられない映画だった。
○「靴下どこだっけ?」「ん〜・・?」
直也が初めて勝裕を泊めた朝。一夜明け、どこかお互い恥ずかしく照れている。冒頭にいきずりの男にやり逃げされたシーンと対象的で、新しい恋の予感に、満たされなかった直也の心が溢れ出すコーヒーと同じく満たされていく。直也の問いかけにもどこか上の空で、爽やかな幸福感と始まりの嬉しい空気。
○「わかった、わかった」
欲情しナマでセックスを強要するマコトに対する朝子のセリフ。力一杯愛された事が無く、当然愛し方も求め方も下手で、だからこそ人の愛をより強く求める朝子。きっとこんな風に簡単に身体を預けてきて、その後水道で汚れた自分を洗うかの様に後悔してきて、それでもずっと愛を求めつづけてきて、でも偽者の愛情しか感じる事が出来ず、いつしか心のふれあいを求める事を諦めた気持ちの「わかった、わかった」
○想いを寄せる同僚の結婚祝いの飲み会で寂しそうに作り笑いを浮かべ、結局最後まで告白出来ない勝裕。冒頭のバスのシーンから一人仕事を片付けているシーンまで「注意深く生きて」いる。ゲイである事から自分を殺し遠慮がちに生きている人生と人間性。
○「知ってるの知らないの?どっち?」「何ですぐ答えないかな〜、こういうの大事なんだよな〜」
オープンなゲイライフを送り、ゲイである覚悟を決め、自分の生き方を通してきた直也。優柔普段な勝裕に時に苛立つ。
○「絶対なんて言わないでよ」
直也と対照的にカミングアウト出来ず、人生に曖昧で優柔不断で、さっぱりと割り切る事の出来ない自分を変えたいと思いつつも変えられない勝裕。いい寄るツグミを断ち切る事も出来ない。損する生き方に歯がゆさを感じながらもそんな不器用な優しさが愛しく、頭にそっと手を添える直也の愛情。
※監督の徹底したマインドコートロールと形容される演出に高橋和也は次第に本気で嫉妬も経験し、又ジレンマにも襲われたそうです。完璧主義な指導にはありがちですが、プライベートで親交のある二人にヒビが入らなければ良いけど。
こういった演出に成り立っているからメッセージがダイレクトに説得力を持って心に突き刺さり、人物にすぐ感情移入できて好きになってしまう。
○お腹を見せ合い「これは違う毛だよね」「それは違う毛だよ」と楽しそうに笑い溶け合いだした三人。
○「勝裕さん、なまず食べはる?」「出したらええやん」
ワイシャツを脱ぐ光石研と後ろに控える秋野陽子。このやりとりで、地方都市の「お家」的な構図がさりげなく現され、「一杯だけやん」とビールを一気に飲む秋野陽子に抑えられている気持ちを感じる。
○「いつから知ってたん?」「だって兄弟やもん。わかるよ」
「お家」を受け継ぐ主君的存在であったと同時に、子供の頃からの弟の「お家」への反発心を感じ続け、人生のバランスを取るかのごとく弟の生き方を尊重していた兄貴との美しいシーン。
○そして多くの方が言われる通り秋野陽子の存在が素晴らしい。人生を犠牲にして栗田家に尽くし守りつづけ、これからも守ろうとする妻の強さ。子供を二度も堕ろし、そして今度も又簡単な方法で子供を作ろうとする朝子に対して、お家のプレッシャーがちっぽけに感じるほど大きな神々しい子供の存在(お家のプレッシャーを受けて生んだ我が子なのに)の大切さを訴える姿に私は頭から否定など出来ないし、まるで自分の生き方を否定するかの様な主人公達の生き方をヒステリックに反対する彼女の怒りに満ちた声は、まるで彼女自身の人生に対する怒りのようで痛みを感じる。
○人生を定着させ人生を諦めていた主人公達が、出会いをきっかけに人生の可能性を探る為、前を向いて歩き出すメッセージにひたすら胸を打つ。彼らはゲイライフ特有の苦しみを持っている。朝子が求める幸せの形も簡単ではない。しかし、厳しい現実と向き合いながらも、前向きに変化を求める彼ら姿勢は、人生に対する普遍的な応援メッセージだだ。長回しによる秋野陽子との対決シーンで朝子のセリフ
「私はまだ諦めたくなかったんだなって、思って」
そうなのだ。誰だってあきらめたくないだけなんだ。人生を追いかける現実的な問題にぶつかりながら、その上で人との共存を新しい家族を作る事で目指す彼女達の一歩に拍手を送りたい。
「ゲイだからってこういう風に生きなきゃいけないって事は無いんじゃないかな」
注意深く生きてきた勝裕だって変化を求めて歩き出した。
同じ30代のゲイとして監督自身を投影させた主人公達への人生の希望のメッセージ。人生が固まり、または諦めだす年代になって描いた世界。
※長崎の地方都市に生まれ、ひたすら田舎から脱出しかった気持ち、ゲイをカミングアウト出来なかった気持ち、自分を縛るものへの気持ち、勇気の無さのコンプレックス、監督自信が語る人生への想いが見事に表現されている。子供の生き方を尊重し、子供の幸せを考えるが無邪気な無知が残酷だったりする富士真奈美は監督の母親がモデルだそうだ。
ツグミの密告が無く、三人がぬるぬると仲良くなって行くだけの展開でもきっと私は楽しめたと思う。
実際にオランダでこの映画のまんまゲイのカップルと女性が子供を育ててる家庭を取材してきた監督とは、勇気と自信を持って日本的な家族のあり方と向き合いたかったのではないだろうか。おかげでこの映画は現実的な厳しさを描く事で説得力を持った。
○対決を終え再び敗れ去ろうとした彼女を救ったのは直也を勝裕の優しさだ。
「何か臭くない?」「ちょっと変な事言うのやめてよ」
部屋で家具に挟まっている朝子に対して心配してやって来た二人の廊下での間抜けなやりとりに私は強く、強く、暖かい気持ちをもらった。朝子と同様に。
○川辺のシーン。
無言で歩き、どこか間が持たず照れ笑いする朝子。それに微笑んであげる直也。勝裕の肉親が亡くなり、朝子はどうしてよいのかわからないのだ。人の痛みを同時に感じる、その人を守ってあげたいと感じる、傷ついている人を愛しおしく感じる、そういった感覚に戸惑っているのだ。
三人で石を川面に投げながら、勝裕が声を上げ泣き崩れる。自分を殺し、遠慮し、慎重に生きてきて、常識的で在ろうと人生を曖昧に誤魔化してきた勝裕が、全ての感情を溢れ出して泣き崩れる。最大の理解者であり、最愛の肉親であり、自分を縛っていた「お家」を受け継いだ主の兄貴の死に崩れ落ちる。
朝子と直也はそのまま石を投げつづける。そっとして置こうと思ったのか、気づかぬ振りをしようと思ったのか、どうして良いかわからなかったのか。二人はしばらく見守りながらそっと近づいていく。始めて自分の感情を溢れ出した勝裕に。勝裕の悲しみに一緒に涙する直也、その優しさが愛しく直也の髪をくしゃくしゃに撫でる朝子。
勝裕によりそう二人。人生で始めて人の痛みを共有し、愛しい人を守りたいと、愛しい人に温もりを与えたいと本気で思う朝子が、不器用に落ち着かず勝裕に近づき、遂に手を添える。
泣きすぎで嘔吐する勝裕の背中をさする二人。この瞬間、孤独と諦めの人生を歩んでいた三人の心は確実に寄り添った。
私はこの様な美しいシーンをあまり知らない。私は映画を見て感動する事があっても涙する事はまず無いが、久し振りに泣いた。いつ以来だろうか。今も思い出しながら泣いてる。
長回しによるこのワンシーン、三人の役者と橋口監督による「間」が生んだ素晴らしい世界であり、この映画のクライマックスに相応しい。
○家を売った秋野陽子を愚痴る勝裕の言葉が本音かどうかわからないが、誰よりも「お家」に執着した末に開放された秋野陽子の行動は自然だと思うし、靴下を半分脱いで放心しながら電話をした秋野陽子の夫への、家への愛は、あれはあれで本物であり現実的だ。
○ラスト3人は子供を二人作る案を割りとあっさりと受け入れる。笑いながら。三人は人生を諦めなかった。歩き出した。それを見ていろいろと人生つらい事あるけど笑いながら進んで行こうと思った。私は泣いた後に笑っていた。
ゲイのカップルと女性だから均衡関係が出来ていて、安定感があり、清潔な心地よさがある。この組み合わせははっきり言ってゲイ映画の王道パターンだ。
○「てんめ〜、何処行ってたんだよ」 「あいつ絶対頭おかしいんだよ」
過剰にならないオネエ言葉で見事に天真爛漫な可愛い直也を演じきった高橋和也
○「嫌いになったでしょ」 「こんなには出ないな(マイスポイトを見て)」 「やっぱりコップとか冷やしといた方が良いのかな」
ナイーブで思慮深くちょっと天然な勝裕を演じきった田辺誠一
○「私まどろっこしいの嫌だからはっきり言うね」 「立派に育ってんじゃん!」
傷つき、人を避けてきた心が次第に溶けてゆく朝子を演じきった片岡礼子
そして橋口亮輔監督とその他キャストの人達、ヨーヨー・マの協力で素晴らしい楽曲を聴かせてくれたグラミー受賞ミュージシャンボビー・マクファーレン。さらには二丁目の人たち。
皆に感謝。この映画に出会えた事に感謝。日本映画って凄い。
※ちなみに興信所の調査書には、朝子が精神科に通った後に歯科技工士の資格を取ったことや、子供を降ろした時期まで正確に実際書かれていたそうです。
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