[コメント] マイノリティ・リポート(2002/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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それはアガサさんです。 アガサは自由という最高のものを手に入れました。監視付きだかなんだか分かりませんが、予防局の時の待遇に比べれば、天国と地獄です。予防局では彼女は人間扱いされていませんでした。それどころか生き物ですらない、予知する機械・・・モノ扱いでした。前半、この恐るべき人権剥奪に誰も気がつかなかい。司法省のウィットワーも、この予知システムに疑問を感じながらも、この「プレコグ」を見て「これは神か?」など見当違いのことを言っただけ。プレコグは人間から除外というのが暗黙の了解になっている社会。どうかすると、映画を観ている我々ですら「こんなもんかなあ」などと思ってしまうほどの無関心ぶりである。しかもこともあろうに、彼女たちプレコグは世間的には「神」に等しい存在として喧伝されており、銅像までたっているのだ!最悪の人権侵害の上に成り立っている「安全」な社会。この世界は吐き気を催すような偽善と嘘に塗り固められたようなところだった。 こんな世界で母親を殺された上に自分は永遠の拘束状態。原作のセリフに「無実の人間を拘束しなければ成り立たない政府ならば壊れてしまえば良い」というのがありますが、この映画でそれを実行したのはアガサでした。ジョンとアガサの接触、それはアガサの方から接近してきたことに注目したい、「あれが見える?」。アガサの母親の事件のファイルを調べ、そのファイルの欠損に疑問を持った時から、ジョンの人生の歯車は狂っていきます。 アガサは予測していたであろう、ジョンはいずれ自分を必要とするであろうことを。彼が黒幕を追い詰めるであろうことを。 結局、アガサは母親の復讐を果たし、この唾棄すべき予知システムは崩壊した(このあっけない崩壊がかえってハードボイルド的である)。予知システムは崩壊しても、この監視社会が崩壊したわけではなく、むしろ延々と続いていくように思われる。しかしアガサにとってはそんなことはどうでもよく、彼女は解放され、めでたし、めでたし、である。ジョンはアガサによって、息子のトラウマから解放された。それが替わりに復讐を果たしてくれたジョンにたいする報酬でした。 息子は生きているのか?別の時間線では生きている、ということだと思います。なぜ3人のプレコグの予知が一致しないのか、それは予知の構造からきている。予知とはその世界の数時間後の世界を見ているのではなく、予知した時点での「別の次元」を見ているのではないか?その別次元の世界は、この世界と数時間だけずれている。ちょっとづつ時間がずれている世界が無限に存在し、プレコグはこの世界に最も近いと思われる世界を検索する。無限に存在するからより近い世界でも、若干のズレがあるかもしれない。だからプレコグを3人配置し、多数決で多い方がより可能性が高いであろう、と決めていたのです。もちろん多い方がこの世界で実現するとは限らないのは明らか、冤罪の可能性はある。 冤罪も発生するくらいだから、息子が誘拐されて殺された、というのも実はなかった、とも言えるわけです。たとえそれが別の世界でも、アガサにはそれが見えたのではないでしょうか。
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