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[コメント] ゴジラ-1.0(2023/日)

バービーは受け入れられなくてもゴジラならいいの? 戦後80年のメメント・モリ。 
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







バービーの背景にキノコ雲描いて批判が起きているけど、ゴジラの背景にキノコ雲描いちゃうのはいいのだろうか? 原爆を落とした国の能天気そうな白人女の画に「原爆というものを軽んじている」というなら、キノコ雲を背景に堂々と屹立するゴジラだって、かっこいいとか脅威とか、ゴジラの引き立て役として使っているだけなのだから、軽いな〜と言う意味では、私には両者にたいして差は感じないけど。。

だいたい「生きのびるんだ」とか「生きたい」とか「自分だけが生きていていいのか」とかいうドラマも、敷島の再生を追うモノフォニックな物語としてなら、今日のわれわれの物語として共感できる部分もあるのだが、中盤以降のゴジラが日本人に知られることになってからの、その他大勢の日本人がゴジラをどう認識していたのかがまったく描かれないから、敷島以外の人たちのドラマに何を共感していいのかわからない。元海軍の軍人たちが「わだつみ作戦」を前に、「せっかく戦争から生きて帰ってきたのに」と作戦から抜けたがる心情も、「今度こそ俺たちの敗者復活戦だ」と思う心情も、単に死に場所を求めんとせん心境も、全体としてポリフォニックな物語が欠如しているので、どれにもリアリティを感じない。今日的な心情になぞらえて理解できるのはせいぜい「誰かが犠牲にならなければならないんだ」という心情くらい。理解できるとはいえ、水島の「僕にも戦争に参加させてください!」なんて台詞や、敬礼する元軍人たちの姿に共感することは難しい。パレスチナ情勢は時期的にしょうがなかったとしても、ウクライナ侵攻のさなか、もはや戦争の時代が始まったと言われる当節、この作品を世に送りだすことに監督はためらいはなかったのだろうか? 現実の人間に何か共感をいだかせなければ絶対にいけないとは言わないけど、だったら「何のために生きるの?」とか「なんで戦うの?」とか、今とは事情が違うんだし過去の歴史の中で中途半端に語ることをせず、ドラマパートはもっと少なくてエンタメに振り切ったほうがよかったと思う。

仮想戦記ファンタジーで娯楽作品なんだから、特に今日的な問題とかについて何も言いたいことなんかないのかも知れない。「高尾、雪風、響は残ってるんだよ!!クぅ〜!」「震電!!!キターーーーア!」と、あの戦争で日本を救えなかった「兵器たち」の敗者復活戦なのだ!、元軍人たちの再生の物語なのだ! とかいう人たちには盛り上がるところも、震電が重大なネタバレです、というその震電を知らない人間には、重大の意味がわからずご飯が何杯もいけたりしないのだった。

初代「ゴジラ」は徹頭徹尾「人間が生み出したもの」を強調して描かれるが、「ゴジラ-1.0」は、ビキニ環礁の核実験をさらっと描きすぎていてだいぶその要素が薄まった感じがする。今回のゴジラは「人類の敵」であっても「人類の悪が生み出したもの」ではない。今回の「ゴジラ-1.0」に、人間の敵は描かれていても人間の悪は描かれていなかった。『ゴジラ』は、それを生み出してしまったという「私たちの戦争」として描かれていたし、『シン・ゴジラ』だって震災と原発という自然や文明を軽視した私たちの物語だったからこそ、多くの人が共感できたのだと思う。対して「私たちの物語」であることをやめ、「あなたの戦争は終わったの?」という、どこかの彼の物語としてのしめくくりに、良くも悪くもこれが戦後80年の日本人の戦争認識の一つの現れなのかなぁと思うのだ。

もう絵は最高ですね。特にクライマックスの海戦シーンの、あのゴジラが水平に(仰角でなく)視覚に入ってくる距離感もよければ、真上から駆逐艦がゴジラにワイヤーを巻き付けるところ全体を見せる画とか、背びれが波を割っていく画とか。

(評価:★4)

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