コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 第9地区(2009/米=ニュージーランド)

甲殻類のような古臭い形態を与えられ、地球人の言語も理解すれば親子関係まで地球人に類似してしまっているこの異星生物のキャラクター設定上の通俗性をどう読むか。私は、斬新さの真の意味を理解した優秀な映画作家のキャリアのスタートラインの正しい立ち方として理解した。
ジェリー

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







イディオムとは使えるようになれば使うべきものなのだ。使い方さえ間違えなければ、常套表現の組み合わせから新たな回路、新たな道筋が生まれてくる。ニール・ブロムカンプはその1点において、この作品がデビュー作品とは思えないくらいイディオム慣れしており、イディオムの使い方において迷いを見せない強さを持っている。この強さは、まるでラオール・ウォルシュやダグラス・サークを思い起こさせる。そして最近においてはティム・バートンを。

この作品は、社会問題として異星人を捉えた初の映画であるという点において斬新かもしれない。アパルトヘイトの比喩として地球人と異星人との共存関係をこの物語のテーマとしているところが今日的ともいえる。ところが、私の得た感動は、そういう斬新性や今日性からよってきたものではなかった

私には、ヨハネスブルグの上空に浮かぶ円盤が、その画面における主役としてではなく背景として朝焼けや夕景の中にしっくりとなじんでしまっていることに奇妙に感動した。甲殻類的形象をした生命が、当たり前のようにキャットフードの缶を常食としていることに心を揺すぶられた。つまり、これまで円盤や宇宙人といった映画の中で主要モチーフであり続けたイメージのラインが、潔く主旋律のラインを譲り、通奏低音のごときラインになってしまっている事態に斬新さがあった。これはこの映画作家のイディオム消化力の高さによるものなのである。映画の世界において高い新奇性をもっているとされた異像がここではコモディティ化している。

描かれているのは、地球人と異星人との争いかもしれない。しかし、超常的表象が日常現象扱いされる文脈において、地球という星の生き物であれ、他の星の生き物であれ、凡そどのような生命に対しても宿命そのものとして襲い掛かってくる困難というものが間違いなく存在することに気づかせる点においてこの映画は斬新であり、感動的である。そしてその困難を前提として生命が生命であろうとする姿勢を描いている点がすばらしい。異世界を描いているようでありながらきわめて当たり前のことをこのSF映画は描いている。思弁的であるというより現実直視的といえる。『2001年宇宙の旅』の呪縛からSF映画はようやく搦め手ではなく王道の手段で解放されたかもしれない。この映画によって。

その中で、この変形していく主人公はどんな役割を与えられているだろうか。新たな遺伝子を取り込んででも生きていく不遜な生き物。純粋という概念の価値を打ち破りクレオールであることの潜在的可能性を顕揚するアンドロギュノス。近未来的には間違いなく登場するであろう遺伝子操作時代の畸形児的生命のイメージをこの主役は投影されている。しかし、重要なことはこのイメージを映画作家が肯定的に描こうとしているということだ。

そのときに思い当たったのがモーゼの主題である。この映画は、ユダヤ人を異星人に置き換え、エジプト人をヨハネスブルグの地球人におきかえた旧約聖書なのだ。ユダヤ人モーゼがかつてエジプト人として育てられたように、異星人の指導者はかつて異界(地球)の人間だったものである。エジプトからカナンへのユダヤ人移動を成功させたモーゼと同じように、この主人公が第9地区から第10地区への異星人の移住を成功させていくのだろう。両方の遺伝子を受け継ぐものとして生物の多様性という貴重な価値を地球という石版に刻み付ける新たなモーゼとなるのであろう。

ユング風の元型的な見方に陥ってしまったかもしれない。変形を遂げた主人公が指導者になる姿が描かれているわけでもない。変形直前の主人公をクーバス大佐から異星人たちが救うシーンに、私が勝手に主人公のカリスマ性を読み取ったに過ぎない。しかし、見えてしまったことはしかたがない。

それにしても、ニール・ブロムカンプは地に足の着いた作家だ。語りを新しくするのではなく、語りを古風に戻す作家。彼はどうやらジョン・フォードの色合いすら帯びているではないか。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (7 人)DSCH[*] 煽尼采 chokobo[*] 3819695[*] moot ぽんしゅう[*] Orpheus

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。