[コメント] サトラレ TRIBUTE to a SAD GENIUS(2001/日)
皆さん既に仰ってますが、ホントにあの設定がもったいない。台無しまではいかないけれど、ほとんど活かしきれてない。サトラレ本人に自覚がない分、話の展開に広がりがない。
どうせこの設定にするなら、個人的に山本太郎のようなキャラクターにして欲しかった。周りの人がその思念波を聞いて思わずププッと笑ってしまうような、くったくのない天真爛漫な男の子。言う事も面白くていつも皆を笑わせているけど、さらに思念波とWで襲ってくるため、周囲には毎日爆笑が絶えないという…。そんな彼がいつもの笑顔を浮かべながらも、たまにシリアスな事を考え込んでたりするとキュンとくるかも。安藤くんは可愛いっちゃあ可愛いけど、なんだか暗いイメージで、役柄的にもあまりにも個性のない普通すぎる男の子。どうせ思念波を聞かされるなら、観客としては面白い思念波が聞きたい!
そもそも「サトラレに知らせない事がサトラレ自身のため」という設定自体に嫌悪感を感じる。極めて日本人的な発想だし、後ろ向きで偽善的。自分はガンでもサトラレでも告知してくれなかったら恨むぞ。
この設定、恋愛モノにしたらかなり使えるはずなのだが…。両思いで幸せの絶頂期には、サトラレの甘い言葉と一緒に思念派からも熱い想いがいっぱい溢れてきて、常人の恋愛より数倍幸せ気分が高まることでしょう。そしてやがて倦怠期がやってきて、言葉では「もちろん好きだよ」と言っても、隠しきれないその心変わり。口から出る言葉と心の声、その2つがだんだん乖離していく様が恋人を打ちのめすことでしょう。オマケとして、初々しい小・中学生の恋愛で、顔を合わせば喧嘩ばかりの幼なじみ。言葉では悪態つきながらも「好き」なんて聞こえてくるっちゅう胸キュンな場面も観たい。
この映画でもサトラレの恋愛は描かれているが、あまりにも単純でステレオタイプな恋愛感情で、しかも相手は彼を観察している立場なため、フリとはいえ彼の想いはあっさり叶えられる。彼の迷いのない単純な思念波は「別に思念波でなくても…」という意外性のないモノばかり。あれぐらいの事ならバンバン口に出して言う人もかなりいるでしょう。「あの子はただ声が大いだけ」というセリフは祖母の愛とともに、この映画の欠点も浮き彫りにしている。まさにデカい独り言を言う普通の人と同じじゃん、と政府がらみの設定の大仰さにシラけてしまうのだ。
この映画は思念波を大袈裟に捉えすぎている。普通の人だって「マズイ!」「ヤダなぁ」「なんか嫌い」「好き」が思わず顔に出たりするもの。しかしそこでサトラレ本人にその能力の自覚があれば、内面の葛藤で面白い展開があるかもしれないけど、自覚のない主人公はただ思うだけ。「マズイ」をシェフの前で平気で顔に出せる、図太い普通の人と同じぐらいにしか面白くならなかった。
この監督の映画は「クラスの人気者になるための生まれてきたような男の子」的な匂いがして、そこが自分とは縁がないというか、好きになれない。でも嫌いという程でもないし、知人に聞かれたら「とりあえず観てみたら?」と勧める程度なので★3。でもある意味、憎しみをこめた★1や2よりも冷めた気持ちの★3。
最後に、あのくどくて、うるさくて、無神経きわまりない音楽には殺意すら感じた。黙れ音楽!と叱りつけたかった。
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