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[コメント] ゴジラ×メカゴジラ(2002/日)

ゴジラと機龍と釈由美子に愛を込めて、この映画が傑作になり損ねた失敗作であることを証明する。
kiona

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







“子供向け”が前提となっている映画だが、手塚監督の前作『ゴジラ×メガギラス』の様なB級テイストに徹するには、機龍という一見非現実的なネタが意外にも現実的に過ぎたようで、かなり消化不良な印象。

まず最初は「無い方がいい」ように思えたのに、後になって必然性があるように思えてきた暴走に関して。

機龍は、国民の生存権を守るための「必要最低限の実力」として造られた。それなら存分に使命を果たして欲しいと思えたし、この不況下に莫大な血税を費やすのだから活躍しないと気まずい。だが「必要最低限の実力」は、ほんの一歩間違えば「軍事力」に変わる。そして「軍事力」は、ほんの一歩間違えば暴走する。何故なら、軍事力には「暴走する力」と「自らの意志」があるからだ。機龍にもその二つがあった。取りも直さず暴走した。

何の話をしているのか? ……つまり自分には、「必要最低限の実力」と「軍事力」の境界線を綱渡りする機龍が、自衛隊の悲哀を象徴しているような気がしてきたのだ。

とはいえ今見ても、あの暴走にはストレスを感じることだろう。何が足りなかったのか? 結論から言えば、機龍の暴走をフォローし、それを悲哀と感じさせるような、周辺人物達に内在して然るべき説得力だ。

まず政治家が酷い。水野久美様と中尾彬は熱演だが、その役所は中途半端。何の脈絡も見出せない政権交代は前総理の責任放棄にしか見えず、現総理は「責任は全てこの私にある」とばかり言葉だけは健気だが、ラストの「これは我々の勝利だ!」との思い上がりには、皮肉にも醜悪極まる現実の政治が重なって見える。

輪をかけて酷いのが、宅麻伸演じる生体ロボット博士を筆頭とする科学者達の描写だ。予測不能の事態だったとは言え、彼らには機龍を大暴走させたことへの激しい罪悪感が伴って然るべきなのに、そんなものは全く見受けられず。芹沢大助=平田昭彦が偲ばれる。科学の暴走を科学の暴走で鎮めるという矛盾に打ちひしがれながら、それを遂行し、全責任を負うべく自らをスケープゴートとしたあの高潔な科学者は、いや日本人はもうそこにいない。

(インターミッション:まだ続くのかって? まだまだ続きます。砕け散るまで続きます)

本作品に、その片鱗が見えたとすれば、「負うた子」(Copyright(C)水那岐様、このレビュー自体、氏の影響を受けて書いています)沙羅のみだった。

シナリオを読んだところ、映画のラスト、ゴジラを追い払うことに成功し歓喜する一同の中にあって彼女が独り俯いたのは、“ゴジラの存在の悲しみ”を想う故だったそうだ。ゴジラばかりではなく、彼女は機龍の生命にも心を砕いていた。母と弟を喪失していたが故に、否定される命に共鳴せずにはいられなかったのだ。

しかし、これらは何故、観客である我々の心にもっと響いて来ないのだろう? 釈由美子扮する茜の生い立ちも然り、取って付けた様に見えるのは何故だろう?

彼らがそこまでして暴走する機龍を必要とする理由が見えないからだ。では、そもそも彼らには何故、暴走する機龍が必要だったのか?

シナリオに欠落していたのは、この点だ。「巨大生物の頻繁な来襲」という、近隣諸国からの脅威ばかりではなく、自然災害の暗喩ともできる設定を用意しておきながら、何故ただの一人もその被災者やその遺族という設定にしなかっのか? はっきり言って、全員それでも良かった。

……よろしい。どうすれば良かったのか、教えましょう。

まず大物政治家中尾彬が、かつて家族をゴジラに焼き殺された積年から公金を横流しし、機龍製造を指揮。そこには、「おまえの亡骸で造ったおまえの亡霊で、おまえを葬ってやる!」との歪んだ情熱あり。機龍の悲劇を醸成するために、これ、非常に大切。総理の水野久美中尾の暴走に悩みつつも、その動機と有用性を理解しているが故に、自らが矢面に立ち、ドロを被る。横流しされた公金を受け取り、実際に機龍を製造する宅麻伸は、モスラの被災者だ(年代は無視しています)。家族でモスラから逃げ回っている内に、妻が流産した挙げ句、自らも死去。宅間は愛する命を奪われた怒りと憎しみから、ゴジラという別の災害を利用し、機龍という悲劇の命を製造する。それが別の命を犠牲にしかねないと知りつつ。父親の矛盾に気付き、懊悩する娘の沙羅はゴジラにも、機龍にも心を砕く。でガイラに親、兄弟を食われ、孤児となり、社会から疎んじられながら育ち、自衛隊に入った。だが、そこでも疎まれる。やがては、社会から総すかんを食らう機龍に共鳴を感じるようになる。そんな銘々の想いを載せ、発った機龍だったが、なんと暴走。自らの矛盾を嫌がおうにも思い知らされる宅間。責任を問われる水野。自責の念から、自決する中尾。コックピットで嘆く。そんなの涙に打たれた機龍が、なんと正常に動作するようになる。そこで、銘々は結束。水野は進退をかけて機龍再出動を決定。

今、万感の想いを込め、行くよ!機龍!!

どーですか、お客さん!

蛇足(←まだ、言い足りねえのかよ!):機龍に乗り込み、重力とゴジラ火炎放射のダブルGにより悶えるには、特撮というジャンルが女優の身体性ないしはセクシャリティを独自のスタンスで助長することを再確認した。このシークエンスこそ、機龍が自らをエヴァやガンダムから分け隔てた大きなオリジナリティだったと思う。この色気は、やっぱ実写じゃないと!

(評価:★3)

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