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[コメント] 真救世主伝説 北斗の拳 ラオウ伝 殉愛の章(2006/日)

既に出尽くした観のある北斗世界のギャグ部分を廃し、総てのエピソードに関連性を持たせることによって、「北斗正史」とでも言うべき物語が語られ始めた。これはもう、ぞくぞくするほど刺激的だ。
水那岐

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







最初に悪い点を挙げておこう。有名俳優、特に宇梶剛士の起用は全くの間違いだ。以上、これはDVDで直せば良し。

TV放映時の映画を監督した芦田豊雄は、「快楽派北斗ファン」だと自ら名乗っていた。要するに彼がやりたかったのは宿命の北斗兄弟の戦いのドラマではなく、「ひでぶ」「あべし」「たわば」だったわけだ。そして世紀末は過去となり、北斗のギャグは完全に飽きられた。世に残された北斗ファンは、シリアスな戦史としての「北斗」のファンだけになったようだ。そんな時代に求められる映画として、この作品は90%以上満足できるものだったように思う。

「修羅の国」と、バットの母親話とが、聖帝十字稜編において同じ重みをもって語られる。しかもそこには何の不自然さも介在しない。まさに北斗ファンにとっては待ち望んだ「かくあるべき」北斗世界であり、元『北斗の拳』担当編集者である「陰の原作者」堀江信彦の面目躍如たる作品の登場と言えるだろう。漫画では単なる強力な敵役として現われ、作品の進展に伴って人間性の重みを付加されていったラオウが、ここでは思慮をもったひとりの武将として最初から描かれている。彼なりの哲学は、トキやケンシロウのそれに比して重みの変わるものではない。これは嬉しかった。覇道を語りながら自らの子供じみた欲求を抑えきれない「巨躯の子供」ラオウはここにはいない。ゆえに、画面に展開されるのは中国や韓国の武侠映画に匹敵する戦乱絵巻である。のちのちが期待できる所以である。

また、余計なものを省いてゆく作業は、ドラマをかつてのファンである大人の鑑賞に堪えるものにしてくれた。バットの母は死なず、成長した息子を励まし、その涙を誘う。原作では歓迎されざるパターンである「秘孔を突くことにより甦る死者」も、今回の語り部であるレイナに為されることでひとつの意味をもつ。「ひでぶ」「あべし」の再来はもはや完全に不要なものとして排除され、出歯亀的な欲求をしか満たさない残虐さから作品の質を守っている。

個人的には「俺は貴様の拳法では死なん」とシンの役割を代行したサウザーが好きだったな。原作のファザコン的トラウマを聞かれもしないのにべらべら喋り、ケンシロウに情をかけられる彼よりはずっと良かった。

(評価:★5)

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